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Art|僕は「美」を信じない

僕は美という文字を信じないことにしている。

たとえば美術。これは、明治時代に「Fine Art」の訳語として作られた近代の言葉です。

美味しいもしかり。「うまし」や「あまし」が転じて生まれた言葉とされて、まだ調べはついていない憶測なのですが、「おいしい」に「美味」を当てたかなり近代的な発送だと思っています。

京都独特の味覚表現に「あわい」という味があることはよく知られています。

「あわい」は、「淡い」とも「間」とも書きます。日本人のことですから音をいろいろな漢字に当てはめたのだと思いますが、僕は「あわい=間」の感覚ってすごく好きです。

白黒はっきり、境界がないグラデーションのような世界が日本の文化だと思うんです。

そしてその移りゆく時間の流れを「あわい」だったり「たそがれ」や「片割れ時」というたくさん目の前に情景を言葉としゅて紡ぎ出してきたのではないでしょうか。

そういう日本人の感性の文化史の中で、「美」という主観的で実感のない表現は、思考を停止する洗脳の言葉だと思うのです。

西洋の枠組み思考ではない、境目のない文化こそ東洋の意識だと思うので、「美」を冠した言葉を僕は全く信用しないのです。

「イケてる」とか「映える」にような言葉と僕には同じに聞こえます。

ヨーロッパの二元論ではない東洋的な隣同士の文化は、美を見直すきっかけになるのではないでしょうか。




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