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Food|neriに学んだポップアップレストランだからできること

ウィズコロナで初めてのポップアップレストランに行ってきました。

7月4日と5日に、吉祥寺の閒(あわい)で開かれた、プロデューサーのharukaさんと料理人の田中庭園さんのポップアップイベント「neri」です。

neriは、3月末に開催を予定していたのですがコロナで延期。それから状況が整っておよそ3カ月後に再開となりました。

harukaさんは、世界中を食べ歩くいわゆるFoodieの一人。The BurnのMAGARIに来てもらって以来、「CRAFTSMAN × SHIP」のイベントをいっしょにやったり、コロナ禍ではZOOMでレストラン論を朝まで語ったり(しかもペルーとフランス、日本をつないで)するなど、定期的に連絡を取りあう存在です。

興味のある領域が「美食・ガストロノミーをどう伝えるか」という点だったり、「アートの体系性から美食を読み解く」という姿勢などかなり重なっていることもあって、話をしていて飽きない、そんな友人です。

田中庭園さんは、harukaさんが「野良料理人」と呼ぶように、普段はOLをしていて、専門的な料理修業のようなことをしてきていない独学の料理人です。

Perception Cruise」(知覚探検とかの意味かな)という名がついた今回のポップアップレストランは、harukaさんがお題となるようなあるイメージを提示して、それを田中庭園さんがそれを料理で表現していく、ごくごく主観的、ある種の表現主義的な料理の表現になっています。

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プールの底から見上げたメロン色の世界

今回のテーマは梅雨。

梅雨には決まったイメージがない。そんな春と夏の閒にある季節を知覚化したい」と食事の冒頭にメッセージを話すと、それぞれの皿のイメージの出発点になった情景を田中庭園さんがゆっくりと話しながら料理が出されていく。

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モロヘイヤ、トマト、きゅうり、ピーマン、そうめんかぼちゃ、ゴーヤー

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冷菜
メロン、烏賊、カッテージチーズ、馬告、バジル

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温菜
とうもろこし、玄米、鶏レバー、味噌、カカオニブ

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豚、紫キャベツ、赤玉ねぎ、茄子、ボッタルガ

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冷菓
生姜フローズンヨーグルト、エルダーフラワー、レモン、タイム

5皿のなかで印象に残ったのは2皿めの冷菜「メロン、烏賊、カッテージチーズ、馬告、バジル」。メロンは、果肉と果汁から作ったゼリーで2種類の側面を出していました。

この皿のイメージは夏のプールだそう。水中と水面、外気、言語にすれば3つの区分けされますが、それぞれはつながっていて、グラデーションのように境はあいまいです。温度が少しずつ水面に向かって変わっていくさまや、光の屈折する角度。すこしずつ外気に近づいていくような音。

いろいろな知覚が自分のなかで呼び起こされながら、料理を口に運んだときに、メロンはメロンでなく、イカもイカではない、チーズもチーズではなくて、マーガオ、バジルも同じ。食材が、食材でなくなって、味と食感、香りになって知覚を刺激して、おぼろげだった記憶の輪郭を浮き出させてくれる。

ああ、僕はいまプールの底から浮かび上がろうとしているのだ

そんなことを感じさせるすばらしい体験ができるひと皿でした。

おいしすぎなくてもいいのではないか?

一方で、こういったコンセプチャルなコースの組み立てになったときに、例えば、今回の肉料理のようなものは扱いが難しいなと感じました。

なぜなら「おいしすぎる」からです。田中庭園さんは、豚肩ロースの塊を表面2ミリくらいをかなりクリスピーに焼き上げながら、中はしっとりに仕上げて、豚をほんとうにおいしく焼いてくれました。付け合わせの紫キャベツのグリルも、焦がすくらいまでもっていくことで独特の香りと食感を生んでいて、夏のBBQの楽しさを感じさせるものでした。

しかし、どうしても料理のおいしさがガツンとくるので目の前のリアルな食材として料理を認識してしまうんです。「この豚肉おいしい」という食材に認識が向かってしまい、現実に引き戻されてしまうんですね。僕個人の意見ではありますが、五感をフル稼働させた知覚探検から、味覚だけの探検になってしまった、そんな感覚です。そうすると食後、改めて思い返すのも「あの豚肉食べたいなぁ」になってしまうわけです。

しかし一方で、メロンの冷菜は「あの宙ぶらりんな感覚をもう一度体験したい」と、料理を食べたことで得られた、ドラッグを求めるような(僕はしたことないですが笑)、そんな日常ではなかなかできない、五感をフル稼働した体験が、僕の体に残っていることに気づかされます。

思い返すのはおいしさではなく、その日幻影のように現れた知覚の体験である――。

harukaさんと田中庭園さん、お二人ともメロンの冷菜に対する手ごたえはもっているようでしたから、こうした知覚の探検をおそらくもっと純度高く表現していきたいのではないかと思っています(勝手だけど)。

そうしたらすごいおもしろいレストランになりますよね。

ポップアップレストランとは何か?

neri」という意欲的で、実験的なレストランに行き、すごく感じたのは、いわゆるレストランは、顧客体験のある程度の均一化を図りながら価格を、市場にあわせていく側面がぜったいに出てしまう。

いっぽうで、期間限定で開催できるポップアップレストランは、値付けがとても難しい一方で、固定客がつきやすいことから、顧客体験の均一化をあまり強く考えなくていいという利点があるように思います。

顧客体験の均一化、つまりコースを体験した人が口をそろえて「おいしかった」と言わせるのがレストランの役割なわけですが、ポップアップレストランでは、もちろん「おいしかった」は必要かもしれませんが、「なんかよくわからなかった!」という食後体験でも、それで食べた人が満足していればそれでOKになる度合いが大きいように思います。「おいしい」にすべてを向かわせる必要が必ずしもあるわけではないと思うのです。

そういう意味で、僕が感じた「そんなにおいしすぎなくてもいい」という顧客体験も十分に存在していいわけで。逆においしさをセーブすること(なんかへんな表現ですが)で知覚探検の質が上がるのであれば、それはポップアップレストランにしかできない探検なのではないかと思いました。

そんなことを考えていると「neri」が今後、どのようなアクションを起こすか、すごく楽しみです。既存のレストランっぽくなっていくのではなく、「neri」っぽい空間になっていくのではないでしょうか。

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明日は「Art」。ブリューゲルの《バベルの塔》、人間の傲慢さについて。

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