Art|支持体としての料理の皿

西洋絵画では、絵の具をのせるカンヴァスや板などのことを「支持体(Support)」と呼んでいます。支持体は、ルネサンス以降はカンヴァスが多いですが、近代になると、支持体自体がうむ作品の効果に注目があつまり、段ボールや厚紙、目の粗い布が使われるようになります。

しかしながら、基本的に板絵やカンヴァス画といった「タブロー」に「完成品」の意味があることからも、支持体は板かカンヴァスであることが基本的に決められていたのが西洋絵画の特徴です。

たしかに、あるていどの枠組みを決めてクリエイトをするというのは効率てきですよね。

一方で日本美術においては、巻物や軸に描かれた絵もありますが、たとえば屏風や襖、天井絵などがあるように、多くの支持体は紙である以外は、枠踏みがあまり決まっていないのが特徴です。

これはタブローという完成品をながらく認めてきた西洋絵画にとってはかなり異質の価値観があるといえると思います。

僕は、この支持体としてのカンヴァスの関係は、どこか料理と皿のような関係があると思っています。

たとえば、日本料理がはらんのような葉っぱを器にして食べさせることも、日本美術が屏風や襖に絵を直接描いたことに通じる価値観であるようにも思います。

そうであれば、料理における支持体としての皿がなくなったときに、もしかしたら真の意味で西洋料理がその枠組みを超えてグローバルになっていくのではないでしょうか。そうなったときに、西洋や日本という枠組みすら超えていく。

じっさい、皿という枠があることで、クリエイトはかなり助けられているようにも感じるし、皿という概念にとらわれ過ぎているようにも感じている。

僕の友人で、ソウダルアさんという出張料理人がいますが、彼はお皿ではなく紙の上に自由に料理を盛り付けていきます。それは、襖や屏風に四季を描いた日本美術のように。

もちろん皿は、衛生面や保温効果など、物理的に料理をおいしくたべさせる機能をもったものですので、皿をなくすことは美食のなかでは難しいとは思いますが、クリエイションを起こすという観点では、お皿すらなくして、西洋からの脱却を図ってみるのも面白いのではないかと、個人的には思っています。

いつか、皿という枠のないレストランが生まれたら面白いよなぁ。

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明日は「Food」。ポップアップレストランのことをもお知らせできたらなぁと。



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