note|関口幸秀さんのnoteを読んだ
気になったり、考えさせられたnoteを紹介していく土曜日。今週は、「チョコ沼」について書かれた関口幸秀さんのnoteをきっかけに、「沼」とはいったいなんだろう、と考えてみました。
料理人のチョコレートレビューのおもしろさ
今回選ばせてもらったのは、なにより料理人のチョコレートレビューのおもしろさがあります。
なので今回は知識を先に入れずに食べた時に感じた自分の言葉で残したい。なぜなら先入観で濁らせてしまうと変にカッコつけてそれっぽく語ってしまいそうだったのと、情報ならば僕より詳しいことはもちろんチョコに対して愛情が深いチョコ沼の住民の方々(何だそりゃ)の情報のほうがよっぽど精度が高いからです。
関口さんは、イタリアンの料理人なので、シチリアのチョコレートをセレクト、かつスパイスを使ったものというのも、料理人らしい。
とくに、口のなかでの段階を追って変化していく、とくに香りとテクスチャー(食感)の変化の描写が詳細で、まるでワインのテイスティングシートを読んでいるようです。
実際に、料理人として使うならというご本人なりの提案も、具体的でいいですよね。
沼に入れない人とは?
「沼」に入れる人ってうらやましいな、って思うんです。
このツイートをしてみて、「共感」とか「わかります」、「沼は怖いよね」のような声を知ることができて、自分ひとりじゃなくてよかったな、と思う一方で、関口さんがnoteに書いているように、沼の先人たちを信頼して、引き込まれてみられる人の声もみて、なるほど沼とは、人それぞれの解釈があるんだなって考えさせれた。
まず大前提で、僕は、「沼」は一人で入るものだと思っていました。
この点が、一般的な「沼」の考え方の相違点です。でもどうやら、「沼」には、けっこう人が入っているみたいなんですよね。
普通、沼いえば、はまってしまったら最後、命をとられ、死んでしまいます。もしくは、身動きをとることができず、ずっとその沼のなかで、孤独な時間を永遠に過ごし続けるのです。
これは、たとえば、永久凍土と呼ばれる地層から、1万年以上前に絶滅したマンモスが出土するような世界がイメージとしてあります。
この永久凍土のなかで冷凍保存されたマンモスは、沼などにはまって身動きがとれなくなってしまい、はまった沼が凍って永久凍土になり、現代まで冷凍保存されたという説が一般的です。
つまり、僕がはまる沼とは、ひとり孤独にその世界に没頭する世界です。
沼は一人で入るものではないらしい
しかし、どうやら「沼の住人」と呼ばれる人たちの声をきくと、「沼」の中は和気あいあいとして、小さな村のようになっているようなのです。
「さぁ、沼に入りなさい~」という妖怪の世界のような(だから沼の主は河童なのか)ものなのか、というのがなんとなくわかってきた。
どうやら僕が考えていた「沼」は、井戸のようなもののようです。井戸に落ちたら、確実に孤独の世界で、二度と抜け出ることはできず、死を迎える。
それよりも、「沼」は、もっと陽気で、ディズニーランドの「ホーンデットマンション」のような世界なのかもしれない。認識が、そもそも違うわけだ。
しかし、ネットの世界は、難しい。「沼」といっていても、実際の沼とは違うわけだから。きちんと理解して使わないと、誤解が生じてしまう。
「沼」だけに、用心しないといけないなぁ。
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