朝鮮半島の歴史(3)

筆者の種本を先に明かしておきます。

骨子は明治維新後の日本が開国を迫り、動乱を経て日清戦争、日露戦争になって日本が朝鮮半島を併合するまでの朝鮮半島側から見た歴史です。その前後の歴史は説明のために足されています。

その骨になる部分の朝鮮半島側の主役は、国王である高宗、その父の大院君(だいいんくん)、妃の閔妃(びんひ)、になります。「タイインクン」とか「ミンピ」と言う読み方は朝鮮語の発音に近くしたもののようですが、ここでは日本語の発音で統一します。韓流をカンリュウと読むかハンリュウと読むかの違いと同じです。

さて、前回は国と国の間の出来事をざっと並べましたが、それらがなぜ起きたかは、遡って何があったか、そしてアクターがどんな人物だったかを理解しないとそれこそ学生の丸暗記と同じで頭に入りません。

できるだけ政治的・思想的イデオロギーを排除した形でそれら前提を列挙すると

・当初は明治政府が朝鮮政府と対等に付き合おうと努力するが、大院君らが頑なに華夷秩序を崩すことを望まず、日本が軍事的に威圧することになる

「華夷秩序」と言うのは当時の清が世界の中心であり、朝鮮はその臣下つまり属国、日本はさらにその下つまり野蛮人たちの国、と言う位置付けですね。今時の言葉で言えば清・朝鮮が日本に対して「マウント」を取り続けたいわけです。

日本は開国する前、対馬を窓口に細々通商は続けていましたし、朝鮮通信使と言う使節を受け入れてきたので、このままで良いではないか、と言うのが朝鮮の立場です。日本は世界情勢からこのままだと朝鮮がロシアかイギリスなどに取られて安全保障上まずいことになる、と言う危機感から近代化を促すわけですが、大院君・閔妃らが頑固でなかなか世界に目を向けてくれないわけですね。

ここで「事大主義」と言う言葉を挙げておきます。簡単に言えば「強い者につく」と言うこと。当時はロシア、清、日本、のどこにつくかであっちふらふらこっちふらふらしているので日本が清やロシアと戦争するはめに陥るわけです。

長くなるのでここまで





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