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えりたマガジン

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2023年8月の記事一覧

【写真館305】空に手裏剣

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【写真館304】夕闇の櫓

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【写真館303】月の初めですので

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■今月を振り返りながら来月の目標を設定する整理術

明日から9月ですね。月も変わることだし、季節も秋になるし、ここはちょいと気合を入れてがんばってみよう! と決意し直すにはもってこいの日です。 そこで、明日から1か月でこれを達成するぞ! な目標を今日書き出そうと考えている方も多いのではないでしょうか。たとえば、noteの記事作成をこれくらいやるぞ! とか、この勉強を頑張るぞ! とか。みなさんそれぞれ、思うところはおありでしょう。 でも、ここで一旦立ち止まって、振り返ってみてください。 8月にやるぞ!と意気込んだことは、ど

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■note記事ネタ探訪記①~目にうつるもの編

「noteを書きたい」 「noteの毎日更新をやってみたい」 そう考えること、あると思います。 noteでなくとも、他のSNS、たとえば、YouTubeやTikTokなどもやってみたい、そこで毎日更新をやってみたいと考えることもあるのではないでしょうか。 そして、その意気込みのままパソコンやスマホを手にする。でも、次の瞬間には「内容はどうするんだ?」という壁に突き当たってしまう。 あるいは、何回か更新することはできても、「毎日更新する」となると、やはりネタが続かなくなり

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■胸のざわざわをほどくのは―『今日は誰にも愛されたかった』

気持ちがざわざわとして、妙に落ち着かない日があります。 理由はよくわからないし、その様子をうまくことばに表すこともできない。だからといって、時間とエネルギーを使って精一杯落ち込んでみる、などのアクションを必要とするほど深刻なわけではない。そんなふうに、ただひたすら、ざわざわとした手触りだけが続いている日ってありませんか。 イヤホンを耳にして、お気に入りの曲をヘビロテしてみる。コンビニに行って、ご褒美なスイーツを買ってみる。ぼんやりとInstagramのTLを眺めてみる。

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■noteなどで役立つ国語講師が教える安定的に1500文字を書く技術

先日まで、noteで1500字のエッセイを100日連続で書いていました。 次の日に用事があり書く時間が取れない場合は、前日に2本書くこともありましたが、基本的には毎日1500字を書いていたのです。 1500字というと400字詰原稿用紙で4枚弱。たまに、2000字を超えていることもありましたから、私は3か月ほどの間、毎日原稿用紙4~5枚の文字を書き散らかしていたという計算になります。 それを言うと、「そんなに文章って書けるものなの?」と驚かれます。そして、その驚きは「私、そ

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【信長公探訪記】信長公廟をめぐる旅/本能寺、阿弥陀寺

前回の記事で、実際に本能寺の変の起きた「本能寺跡」を紹介しました。記事にも書いたように、その後、後継者となった豊臣秀吉公の都市計画により、本能寺は現在の場所への移転を命じられます。 以前、伺ったことはあるのですが、今回せっかく信長公の京都での足跡を辿る旅に出ましたから、現在の本能寺へも訪れることにしました。

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■noteと推し活とエッセイ

noteの記事を毎日更新し始めて、320日が経過しました。1日最低2記事、多いときには4記事更新。私の場合は少々過多な更新の仕方ではありますが、2022年9月にnoteを再開して以来、毎日何かの記事を書き続けています。 毎日更新しているのは、基本的に二つです。日常について書き連ねた1500字超のエッセイと、【写真館note】という我が最愛の推しさまを愛でるためにつくった「写真とことば」な記事。エッセイは毎日更新100日超え、【写真館note】に至っては連続更新300日超えを

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【信長公探訪記】ふたつの本能寺

天正10年(1582年)6月2日未明、京都本能寺において織田信長公は明智光秀による謀反に遭い、その未来を突然に断ち切られます。本能寺の変です。 7月の終わりに、大河ドラマ『どうする家康』でも1話をかけて描写されました。あの有名な台詞「是非もなし」や敦盛といった定番の劇的要素を入れずに描いたことで、かえって、より印象に残るドラマになっていたのではないでしょうか。 さて。 その現場となった「本能寺」は、現在、京都市中京区寺町通にあります。ですが、これは信長公逝去後、豊臣秀吉

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