見出し画像

無から有を生むの「無」とは?

私は、曲を創る時によく「無から有を生む」と
表現しますが、この「無」って何なんでしょうか?

また、曲のイメージが中々出てこない時には
「無から有を生む苦しみ」と言うときがあります。

そして、曲が完成したとき「私から生まれた」
「今回は難産だった」みたいな表現。


これ、例えば私の作業の様子だけを映像で写すとしたら、、、
ただ悶々と楽器に向かっている絵面が写されるのでしょうね。

と、いうことは、、、

映像の中だけで見ると「無」は私の中の範囲であり、
私の中に存在している?

そんなふうに映って見える?のでしょうか。


私が曲を創る時に大事にしていることは、
閃き直感インスピレーションです。

画像1

ただしそれは、映像には映りません。


恐らく私は「無から有を生む」状況のとき「無」の
もっと奥に、アクセスしようとしているのかもしれません。

ただ「無」のもっと奥といっても、そのイメージ区域は
自分から飛び出た先にあるようにも思えて、、、

実は、私の意識の領域内での作業のようにも感じています。


でも、昨年母が亡くなってから今日、気づいたことがあります。

「無」のもっと奥の私のイメージ区域。

それがどこかはわかりませんが、自分から飛び出た先には
間違いなく、母の存在があったに違いありません。

もちろん、母の肉体はもうこの世にはありません。

だけど、なぜか母はいつもすぐ側にいるように感じています。

画像2


それからは、いつも私の「無」の先には
母の存在を感じるようになりました。


人間は魂の存在といいます。
また、心、体、魂は一体ともいいます。

もし、自分から飛び出た先と
「無」のもっと奥の部分が同一で、

それを「ミエナイ世界」と位置付けるなら、
そこは、魂の世界と同一?

ではないかと、感じる次第です。

母はミエナイけどそこにいる。


これは、想像の話しかもしれません。

でも、私は想像する力が創造力へとつながると信じています。


これからの時代、想像力から創造力、
そして、信じる力が可能性を広げ、

本来の人間が持つ創造する力を発揮できるように
導かれるのだと感じます。


信じる力が波動となり「ミエナイ世界」とつながるとき、
肉体のあるなしに関わらず魂の存在である私たちは、
魂の世界、すなわち宇宙と一体であると気づくのです。

画像3

そのための導きだと感じます。


結局、私の中に存在する「無」とは、
私自身であり、魂であり、宇宙である。


私たちの想像力を解放し、ミエナイ世界、
すなわち宇宙との共振共鳴から導かれた創造力こそ、
宇宙の意志であると信じます。


いよいよ、アフターコロナの時代が
目に見える範囲に入ってきました。

私たちの想像力の解放と創造力を発揮するための

「無から有を生む」

そのタイミングを迎え入れる時がきました。

画像4



°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

erisu


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?