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世界三大スポーツイベントが仕事になる日。

2002年春、韓国・ソウル。大学の同級生と卒業旅行に選んだ場所。
バスツアーで名所を回っていた時、でっかいサッカーボールのモニュメントが車窓から見えた。「なんかすごい!」それがサッカーワールドカップ日韓大会のものと分かったのはもう少し後、開催期間中だった。

当時、就職活動は超氷河期。希望の職種には当然就けず、完全に負け組だった。
大学卒業後、自分が患者だった経験から声をかけてもらった、故郷岐阜県にある矯正専門の歯科医院に就職し、受付と歯科助手をしていた。
サッカーW杯期間中、スポーツ好きな院長の計らいで、休憩室に置いていたテレビを待合室へ移動して、日本戦を患者さまやそのご家族がテレビ観戦できる状況となった。対戦カードは忘れてしまったが、日本が勝利した瞬間を歯科医院の受付で味わった。コミュニケーションをとるのがなかなか難しい静かな空間。そこでの歓喜の共有はとても衝撃的で、その後の働く道を大きく変えた。

「スポーツに関わる仕事がしたい」

文学部卒で歯科医院勤務。知識のなさを痛感していた私は、スポーツの専門学校で2年間学ぶことにした。このタイミングで退職し故郷を離れて上京、アルバイト週6でもカツカツで、好きなアーティストの音楽ライブもほとんど行けなかったけれど、目標に向かって夢中な日々だった。

専門学校卒業後は、横浜市の外郭団体で嘱託職員の指導員となった。スポーツ施設の管理運営を通算5年と、地域連携という担当区ではスポーツの顔的役割・営業的な業務・団体の運営支援等を約3年させていただいた。いずれも少数精鋭で何でも屋。いかに器用にできたり、人に任せられるかが問われ、心身ともに鍛えられた。また、スポーツで地域を盛り上げたい!人たちのためならばと、曜日関係なくあちこち動き回っていたなと今振り返ると思う。この頃に構築された人とのつながりは今も続いていて、大切にしている。

とてもやりがいある仕事をしていたが、一つ、スポーツに関わる仕事でどうしても働きたい場所があった。故郷にいる頃から大好きだった、競泳の北島康介選手が練習の拠点の一つにしていた【国立スポーツ科学センター】通称JISSだ。ここを管理する独立行政法人への憧れも2002年頃から頭の片隅にあった。そこで私が選んだのは、事務職への転職だった。

独法の契約職員(事務)となり、最初に配属されたのは調達管財課。「??」でしかなかった。いわゆる各種契約締結を担う部署。ひたすら契約に係る業務に慣れてきた、入社からふたつき後、「経理はわかる?」上司の何気ない一言。この時には既に決まっていた。
突然のような異動辞令から4年、経理課での業務に全力を注いだ。
JISSとは、請求される各種支払い業務として、関わることができた。事務所内に在籍することだけが「関わっている」ではない。今だから言うと、JISSからの請求書のうち、取引業者からの7~8割の支払いを担当した時期もあった。いい経験させてもらえたと思っている。

・・・
退職前にJISSへ行った日の声です。

【契約職員】雇用期間は規程で定められていて、私も契約満了の時期が刻一刻と迫っていた。
自分で決めて職を変えてきたのがここへ来て、初めて会社都合で変えなければならなくなってしまった。正直、転職活動の気が乗らない。失業保険をもらってのんびりしようかな~なんて冗談交じりに話していたが、内心はそうなると社会復帰できないかもしれないと不安ばかり募っていた。スポーツ業界から足を洗うことも視野に入れていた。ところがー

「いつ退職ですか。ところで、次は決まっていますか」
「2月中旬です。次はまだです。どこかいいところがあったら紹介してください」
1月末に突然の連絡。紹介してくださいは半分冗談のつもりだったが、そこから一週間足らずで次の場所が決まった。まさかの展開。就職や転職は運と縁だと思わずにはいられない。

「世界三大スポーツイベントの一つに関われるなんて!!!一生に一度かもしれないからすごいですよ」

退職の挨拶回りをしていた時に、同僚から言われた一言。

世界三大スポーツイベントとは
・オリンピック/パラリンピック
・サッカーワールドカップ
・ラグビーワールドカップ (※諸説あり)

なんと!言われるまで恥ずかしながら気づいていなかった。今までは箱ものには関わってきたけれど、これからは主催者側の所属になるのだ。
・・・
いうことで、2月19日より
ラグビーワールドカップ2019組織委員会で正職員として働くことに。

一度振り返って残したかった、スポーツに関わる仕事でのこれまでを。キャリアとか職務経歴書とか、形式的なものではカットされる自分の想いを乗せて。

これから始まる新たな一歩。
イベント成功に向けてトライしていきます!!

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