霊能者になった日のこと

私を知る人には意外かもしれないけれど、本来の私は実に衝動的で行動的だ。

それを止めるために左脳であれこれ考え始めると、功を奏して非常に慎重になる。

子供の頃から過去世での出来事や未来に起こる夢を見るなどを経験していた。それが霊能力によるものとは考えたことがなかった。霊能力という言葉も知らなかった。
人より直感に優れ、人の求めるものを察知し、とにかく強運の持ち主であることの自覚はあった。

10代の終わり、私の口癖は「私、直感だけで生きてる」であったと、数年前に突然思い出した。

しかし大人になり就職した後は職場で「直感でこう思います」と言うわけにはいかなくなった。

一部上場企業に入社。
時は男女雇用機会均等法が施行され、学生時代から万年クラス委員長だった私は、社会が自分をはじめとする女性に期待していると張り切っていた。

しかしそんなことにはならなかった。
何か目立つことをしようものなら「女のくせに」とバッシングされた。
意見を聞いてもらうためにはデータを積み上げ、理論武装が必要だった。
気付けば「女らしからぬ左脳人間」と言われるようになった。

そうして20年余り過ごしているうち、私は優柔不断になった。

直感というのは霊能力の一部だ。
能力というのは備わった個性の一部でもある。
直感に封をした私は、個性の一部を失った。

やがて私は自信の無い人間になっていった。
自分を認められないから他者評価を気にするようになっていった。
自分らしく在る前に、求められる自分でいようと努力した。
ますます私は自分から遠ざかっていった。

けれど人間というのは思うよりしぶといものだ。
私の個性はすべて輝きを失ったわけではなかった。
私が発するわずかな光を認め、受け入れてくれる人たちがいた。
直感は封印せざるを得なかったけど、もう1つの私の力、霊知は役に立った。

霊能力のタイプには大きく分けると4つある。
(1)霊感(感じ取る力)クレアセンティエンス
(2)霊視(視る力)クレアボヤンス
(3)霊聴(聴き取る力)クレアオーディエンス
(4)霊知(知り得る力)クレアコグニザンス

私が持つのは(1)の霊感と(4)の霊知だ。
霊知はキャッチする力。
相手が求めているもの、必要な情報が突然やってきて、その情報が正しいと分かる能力。
外側から受け取る能力ではないので、内側の自分の思考と区別するのにトレーニングを要した時期もあったが、今では両者が共存し使い分けることに慣れてきているのを感じる。

霊能力とは別という人もいるが、エンパス(共感能力者)でもある。
エンパスは無意識に人の思念や体の痛み等を感じとる人をいい、敏感な人はそれらを引き受けてしまうこともあるので注意が必要だ。
私は元来無防備な人間なので、付き添いで病院へ行った日の夜には異常な程の疲れを感じる。
天然のヒーラー(癒し人)でもあるので、一人や二人ならいざ知らず、見ず知らずの無数の人の病気やケガ、感情をキャッチし癒してしまうから疲れて当然。

こうしたことの知識や経験を身に着けることができたのは、一人の霊能者との出会いによるものである。
その人は並木良和さんと言って、千葉県でスピリチュアルカウンセラーをしている。
本を出版したりyoutubeで動画を配信しているので検索すればすぐにも見つけることができるだろう。
そしてすぐさま彼を好きになるであろう。
ここまで愛情の深い人を私は他に知らない。
同じことを彼にも言われるけど(笑)
霊的なレベルとキャリアは私の比でなく、彼の前では私など足元にも及ばない。

友人の紹介で彼のセッションを受けると決めたとき、私は正直言えば「どの程度の人か」と思っていた。それよりも1年程前、別な友人からやはり不思議な力のある人が江の島にいると聞いてセッションを受けたことがあった。
「インナーチャイルドを癒すために駄菓子を大人買いしてください」と言われて忠告に従わなかった。

けれど並木先生は本物とすぐわかった。
占い師ではないから『当てもの』は必要ないけれど、彼は私の日常を霊視して疑い深い私から信頼を勝ち得た。

そして私が霊能者であることを教えてくれたのも彼だった。

「あなたはこちら側(支援する側)の人間ですよ」と彼に言われた。
何のことかさっぱりわからなかった。

「自分の力に気付いていますか?今すぐそれを仕事にしていいレベルですよ」。そう言われても、自分にそんな力があるとは知らなかったし、何の仕事にしていいのかわからなかった。

だけど信じ難いと思う一方で、とても嬉しかった。
自己評価の低かった私は、自分に誇れるものなどないと思っていた。
しかし他の人に無い特別な力があるとしたら、それは私に自信を与えてくれると直感した。

「UFOを見るでしょ?」と並木先生。
「はい。どうして分かったのですか?」
「あなたのオーラを見ていると、過去世に神官をやっていてUFOを操っているのが見えるんです」
そんなことを言われて、「やっぱりそうか」と納得するものがあった。

並木先生に会ったときに聞こうと思っていたことがあった。
「仕事を辞めたいと思っているんです」。
江の島の霊能者は「辞めてもいい。でも次の仕事を決めてから辞めなさい」と言った。
転職活動なんて面倒。辞めたいけど勇気がなかった。
並木先生の答えは少し違った。
「すぐ辞めてください。今日にでもすぐ」と言った。
これには私も驚いた。
同時にやっぱり辞めたくないと思っている自分に気付かされた。

けれど辞めた先に私に何があるのだろう?
そう考えたとき、偶然から学び始めたカウンセラーの職を生業にしていくことなのだろうかと頭をよぎった。
「カウンセラーになろうかと思います。なれるでしょうか?」と私。
「どうぞ。あなたの場合、何をやってもいい。1つの仕事だけでなく、同時に幾つもの仕事をしていい」と並木先生。
”なんでもいい”と言われると、かえって何をしたらいいのか分からなくなったけれど、ひとまず会社に休職届けを出した。

「霊能力があると言われても、その使い方が分かりません」と並木先生に抗議した。
すると「今度ワークショップを開くから参加してみますか?」と言われ、直ぐに申し込みをした。

ワークショップでは、振り子を使って質問にYes/Noで答えたり、オーラを見る練習、オーラから過去世を読み取る練習、オラクルカードから情報を得たり、自動書記のやり方などを学んだ。霊能力のある人ばかり20人ほど集まる中では力が共鳴し、一人では成し遂げられないであろう力を発揮することもあった。いつしか私は受講生の中で一目置かれる存在となっていた。

並木先生とはお酒を飲んだり、旅行に行ったりと急速に仲良くなり、この上ない霊的トレーニングの機会をいただいたと思う。
知らなかった高次元の存在を教えてもらったり、遊びながら霊視を試すなど、チカラの使い方を学んでいった。
霊能力を伸ばす最高の方法は霊能者のそばにいること、と言える。
瞬時にアドバイスを求めることができ、すぐさま答え合わせができる環境は得難いことであった。私は本来持っていた力を思い出すにつれ自信を取り戻していった。自己肯定感が高まるのも同時に感じたが、これは信頼できる友人の力によるものが大きかった。この頃に出会う友人は私を支え、誤った認知を正してくれた。

私は常々、霊能力が高いこととカウンセラーと名乗ることは別のものと言っている。
霊能力が高くても、それを占いのように使っている人が多い中、彼はクライアントを安心させ、問題を解決し、癒しを提供していた。
占い師を否定するわけではないが、クライアントを落胆させ、怯えさせ、回避する方法を教える代わりに自分に依存させる人が多い中、彼はカウンセラーとして果たす役割を果たしていた。

私は心理カウンセラーとして活動する中で、セッションの最後の最後に霊能力を使って守護霊からのメッセージを伝えることを始めるようになった。
しかしそのメッセージが、それまでのカウンセリングの効果をはるかにしのぐインパクトがあることに気付くのに時間はいらなかった。
すぐにセッションのやり方を変え、冒頭から霊能力を全開にし、クライアントとその守護霊、私とその守護霊の最低4人でのセッションに切り替えるようになった。
心理カウンセラーとしての私の意識に、あと二人の守護霊の意識が入り込んでくるという状態はなかなかややこしいものだったが、今では自然に共存するようになり、並木先生に「あなたの力は、必要な時、必要なタイミングで、必要なことを、必要な言葉で伝えられること」と言われたように、私に与えられたお役目を果たせるようになってきたのかなと思う。

並木先生には出会った頃から、私の直感を邪魔する左脳的な考え方はもう必要ないと言われたけれど、私には現実に即した面とスピリチュアルな面の両サイドの中でバランスをとることが必要だという気持ちは変わらない。
衝動というインスピレーションは優柔不断さによってバランスをとっているのだ。
「決められない」のではなく「決めない」。
「動けない」のではなく「動くときを待っている」。
でもそのやり方も間もなく終了。

ついに動き出すときが来た。
この時を待っていた。
そんな感じ。
そのスタートがこのブログ。
何を書くべきか考えていて始められなかったけれど、何を書いてもいいと決めたら手が止まらない。

昔のブログを読んでセッションを申し込んでくれた人が今月、名古屋から横浜に訪れてくれる。
九州に住む人もまた昔のブログを読んでメッセージをくださったり、未だにあのブログが誰かの心を励ますことに貢献していることを知った。
昔のブログは私の日常を通じて、高次元の意識を自動書記によって反映させている。半分トランスの状態で書いているので、私は書いたそばから何を書いたか忘れてしまう。でも公開したままにしておいたよかったと思う。

さて私についての話はいい加減飽きてきたことでしょう。
これまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

このあとどんなことを書くか予想はできないけれど、感ずるままに向き合っていきたいと思います。

いつもありがとう。
みなさんの幸せを祈っています。

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