真理への道って?(中編)

前編はこちらから

鉱物店の店主に勧められた哲学の本。
読んでみてもよくわからないまま時は過ぎた。

自分で言うのも何だけど、優秀な成績でヒプノセラピスト(催眠療法士)の最終試験を突破した頃には、心理学から解明される"心の働き"が自分に与える影響について身を持って経験していた。

・なぜ私は意地を張るのか→譲れない信念があるから
・なぜ私は職場の業績評価システムにこだわるのか→アイデンティティとしての自己評価が低いゆえ、他者から高評価を得ることで自分を保とうとした
・なぜいい加減な仕事をする人が許せないのか→仕事にはいい加減でも愛される、その人自身が持つ魅力が羨ましかった
・なぜ私は男性に好きと言われると困るのだろうか→自分に価値が無いと思っていた etc.

これらを自覚するにつれ、私は変わっていった。
自分が変わるからなのか、付き合う人も変わっていった。
プライベートが充実するにつれ、職場が苦痛になっていった。
心理学との出会いは私の心を自由にしていく一方で、変化を求めない職場の雰囲気は私の向上心を満たす場所でなくなった。

心理学への興味はそのまま自分自身の解明と重なり、学びを深めたいと叩いた扉の先はメイクセラピー(化粧療法)だった。

昔から女性の友達よりも男性の友達が多かった私には、女性ばかり集まる環境は少し居心地が悪かった。
当時、1日の大半を過ごす職場は古風な男性社会。
前年実績をベースに計画は進み、状況を説明するにはデータに基づく説得力のあるものが求められ、女性が得意とする直感や感情、共感力は必要ない。そんな職場の環境に染まっていた私は、”超”が付く左脳人間になっていた。

メイクセラピーの教室で私は2番目の高齢で、講師も含めて周りは年下の女性ばかり。「キャーキャー」とあちこちで楽しげな笑い声が響くところで過ごすには、ちょっとテンションを上げる必要があった。
しかし人生経験はムダではなく、いつしか私はメンバーの中でご意見番のような地位を確立し、きっと誰よりもみんなのことが好きになり、みんなにあたたかく迎え入れられた。

そしてある朝のこと。
目が覚めると同時に目の前の空中に文字が浮かびあがった。
「なに、これ!?」
文字を読む前に、その信じられない出来事に気をとられて茫然とした。
あとで何て書いてあった!?と記憶を蘇らせてみると
「ヨガやって」だったと結論づいた。

昔から、時折り抗えないことがやってくる。
自分の意思に反して整っていく出来事に遭遇する。そうした流れに抵抗を感じることもあったけれど、いつもその波に乗ることが最善の道であることを経験から学びとっていた。
今回もすぐさまヨガ教室をネットで検索して、一番近い教室に体験の申し込みをした。

初めて触れたヨガ(その教室ではヨーガと発音した)。
びっくり。「オーム」の発声に始まり「オーム」で終わる。
怪しすぎる!
しかし発声してみれば不思議と気持ちがいい。
レッスンのあとで講師が近づいて来て「いかがでした?」と尋ねられた。
正確には覚えていないけど、多分「気持ちよかったです」とか何とか言ったのだろうと思う。そしてそのあと言った言葉は今でも正確に覚えている。
「私、講師になりたいんです」。
言った自分が一番驚いた。
そんな風に思ったこと一度もなかったのに!!

しかし他でもそのセリフを言ったことがあるのを思い出した。

メイクセラピーの講座で自己紹介をしたときのことだった。
名前など名乗ったあとで、なぜか「ヨガの講師になりたいと思っています」と口が勝手に動いたのだ。ヨガなんてやったことはなく、まして講師になろうなんて思ったこともないのに。
自己紹介で緊張してたのかな?
不思議だなと思ったけれど、そんなことがあったのもすぐ忘れていった。
それから何年何ヵ月かして、再び私の口が「コウシニナリタイ」と動いたのだ。

ヨーガの先生は「講師になるクラスがあるからそこへも来たら?」と勧めてくださり、行きがかり上、別な日に出掛けるはめになった。
当日、ウェアを持っていくのは必然と思っていたけれど、講師のクラスは座学だけだと行ってみてわかった。
始まりは歌(キールタン)。神々の名前をメロディに乗せたりするそれは”インドの讃美歌”とも言われるように美しくもあり、せつなくもあり、楽し気だった。
座学は、と言えば、今にして思うと初心者の私に合わせて、かなり噛み砕いて説明してくれていたのだと思うが、挙手して「すみません、日本語でお願いします」と言いたくなるほど意味不明だった。時事問題に絡めながら話される講義はとても身近な話なのに、これまで生きてきた中でこれほど理解できない授業はなかった。それでも何か神聖な、知るべき内容であることだけは分かった。これがヨガ哲学であると気付いたのは、さらに時間がかかった。

私が門を叩いたのは『日本ヨーガ学会』。カルチャーセンターを中心に全国規模で展開するヨーガの協会で、友人に「よりによってディープな教室を選んだね」と大笑いされるぐらい深い学びを提供している。私が知っていたヨガは健康になるための体操のようなものだったけれど、ヨガの神髄は悟りにあり、「オーム」と唱えることもキールタンを歌うのも、体を動かすアーサナ(ポーズ)も、すべて悟りへ向かう手段であることを知る。

月に3度通う教室。朝まで呑んで疲れた体を休めにいくようなものだったが、3か月程した頃だろうか。
講師から電話がかかってきて言われた。
「講師になってみない?」
聞けば、2つの教室で講師がやめることになり、そこを担当してほしいと協会側から打診があったと言う。
日本ヨーガ学会のクラスは1ヵ月ごとにテーマが変わり、季節に合ったアーサナを教えることになっている。
新人の私は自分が習っていないアーサナをクラスで教えることになるというのだ。
「無理ですよー」と渋る私に、「私もそう思う。だけど協会にはたくさん講師になれる人がいる中で、白羽の矢が当たったのよ。チャンスだと思う。私も協力するから」。
絶対無理!第一、生徒さんに失礼だ。「少し考えさせてください」と言いながら、どこか胸が弾み、判断に迷った。

結局は講師になることを決めたわけだけど、講師デビューまで残り2カ月。
これまでは半分寝ぼけながらクラスを受けていたけれど、そこからは自分でも驚くぐらいヨガ漬けの毎日へとのめり込んでいった。
それを支えたのは責任感。できる限り質の高いものを提供したい、その気持ちだけだった。

私が生徒として受けるクラスは月に3回。毎月テーマと共に内容が変わるのだけれど、他の生徒さんの了解を得て、3回目のレッスンから翌月の内容に変えるという変則の教室となった。
ヨガに関する本やDVDを買い込み、 2カ月間ヨガに明け暮れた。

それがよかった。
ヨガが私を変えてくれた。

後編に続きます


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