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流れ藻 5. 母子寮


5. 母子寮


その夜、大塚夫人の出産が始まった。

灯りもない、方角も知らない未知の土地で手分けして探して歩き、助産の経験者を迎えてくる者、ロウソクの灯りの下でお互いの肌着を切り裂いて、産着を作る者、寮中を頼み歩いて、たらいを、洗面器をと借りて来る者。

二部屋をあてがわれ、詰め込まれていた一方を空け産室にあて、あとの者は押入に子供を寝かせて、ぎっちりと座って出産を待った。

この時も笠井夫人だけは別に一室を占領しての別行動を当然とし、その上小さい子の世話役にと子の無い若い主婦を指名して雑用に使うという態度で、理由は、

「私の身辺は皆さんの大切な路金を預かっている大切な身だ、ブへト所長夫人だ、私を補助してくれなければ皆が困る結果がくる」

ということになるのだった。


出発する時、笠井所長からの依頼もあり、昨日までの上司の家族で、岡山県の同郷、同窓の人の妻である人を、子を、私は疎かに思いはしない。

唯唯(ただただ)、不審な行動癖の理解に苦しむばかりだった。

一番かわいそうなのは、長男の輝雄君を頭に晃君、妹二人たちであった。こうした旅で確(しっか)りと母に頼り切れもしない。

分裂的言動に、まだ幼い輝雄君は長男の責任を知っていて、この母をなだめ、叱咤し、励ましては弟妹達を引きずる様にして一人奮闘している有り様で、そうでもしないとこんな共同生活圏での食事に旨くありつけはしないのだった。

裕三はいい友達だった。笠井兄弟をさそって食堂で小さな肩を並べてアルミの椀に顔をうめていた。



出産の準備も整って、緊張していた部屋のドアがスーラと開いて、ロウソクがゆらいだ。

思わず顔を見合わす主婦達の前に、蒼い異な形相の笑まい方で一匹の猫をつまみ上げた笠井夫人がたって居て、

「これ差し上げますわ」

と不気味に笑ってスーと消えていった。

隣室のしん吟が漏れて、ハタハタと何かのあふり風でローソクが騒ぎ、気味悪い事この上なく、何の積もりか分からない奇妙な行動なのだ。


その夜の御用命は松岡一家が受けていて、広くゆっくり眠れるからと笠井夫人室へ泊まりに行った。


男児が産まれた。ともかく無事に。そうしてその夜が明けたのだった。


翌朝からのそこでの暮らし方は、食券でうまく食事にありつくための行列。タイミングが少し悪いともう食べそこねた。

その他に南下列車の情報をつかむ事、不意の出発に備えての弁当、握り飯等を作る事、水を汲み貯める事に尽きた。

朝こそ列車のことが、夕方こそダイヤが発表される、というので、弁当ばかり作っていたが、既に南下した列車が鉄橋が落ちたとか、水害で前進出来ぬとかで、続々逆にチチハルへ北上して戻されてきた。

おびただしい人だ。もう情報などこんがらがって仕舞った。

てんやわんやの満鉄側に談判したら、

「どこかの一団の中へ小単位で便乗せよ、個人行動をとれ」

 と云う方針が打ち出されて、私達が一群で南下列車に乗れる見通しは無くなった。

それで、私達は分散しての行く先を安東本社に決めた。

どんな方法で、どこをどう通るかわからない。

南へ南へと逃げる、安東へ行く、唯それだけ。

そう決めて、皆が離散するなら会社からの路金を平等に分配して持たせねばと云う事になり、杉野夫人が代表で笠井夫人に申し出てみて、蒼くなって戻ってきた。

「そんなもの持っていない。持っている金は私の個人の私物です。」

という返答だった。

そんな筈はない。 幾人もの人が笠井氏から懇々と聞き、また依頼もされた。

チチハル駅頭では、狂った様に叫んで、

「私をお守りください。私には皆さんの財産がついているのです。私を、子供をみて下さるのが皆さんの為なのだ」

そんな意味だったのをはっきり誰もが聞いていた。

さて分散となって、それは私個人のものです、と言い張られてきかないので、強く詰問にと再び出向いた杉野、谷岡と、代表のものが再請求しても懇願しても、果ては手もつけられない有り様となった。

「もうよろしい」

と杉野夫人は席を蹴った。

だが、それではあと多数の家族の前途は心細く、どうしたものかと困惑して仕舞った。

皆寄って無い知恵を絞った挙げ句、社から満鉄本社へ積み立ててある筈の我々の保証金の一部を借用する事に奔走して、一人頭、六千円を願ったが、 半額三千円を借り出せる結果となった。

これを個々に持って離散。南下する事にした。

荒浪に浮かんだ木の葉のようなものだった。次の瞬間はもう考えられない身の上となった。

どの列車にもぐりこめるか、それを待つばかりとなった。


(6. 「終戦」 7. 「流木」に続く)

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