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木漏れ日の中を泳ぐ人を祝福すること

「木漏れ日」という言葉は日本語にしかないものというのは有名なことですが、御多分にもれず私も「木漏れ日」がとっても好きです。公園を散歩していてキラキラした木漏れ日に出会うとついついカメラを構えて写真を撮っています。

木漏れ日ってなんだか水面に似ていますよね。光が風にゆっくりゆらゆら揺れながら動いている感じとか。見ていてとっても気分が穏やかになります。

でも、私が「木漏れ日」が好きな理由はもう一つあって、木漏れ日の中を誰かが通る瞬間がとっても好きなんです。木漏れ日に当たる髪の毛や肩、背中のキラキラししながら揺れていて、まるで木漏れ日の海の中を泳いでいるような、フラワーシャワーを浴びているような、その人を祝福しているように見えるんですよね。

だからたまに、とっても素敵な木漏れ日の中の歩く人に遭遇すると「この方に幸あれ!」なんて勝手に祈ったりしています。

こういうときは写真を撮りたくて、うずうずしちゃうんですが、もちろん勝手に撮ったりできないし、いきなり声を掛けるのもびっくりするだろうし、100%シャッターチャンスを逃しています。というか、もし声を掛けて撮れたとしても、「幸あれ!」と思った瞬間に撮りたいわけなので、その瞬間の立ち位置に戻ってもらって撮ってもあんまり意味がないんだろうなぁなんて思って諦めています。

その代わりといっては何ですが、私はお友達と写真を撮るときは散歩のようにとにかく歩きます。歩かせてごめんね〜と思いつつ、その人への幸せを願える瞬間を待ち続けて一緒に街中や緑のなかを歩き回ります。これは最初からそう思っていたわけではなく、だんだんと思うようになってきたことで、私がお友達をモデルにして作品撮りをしたりするのも、そういう意味合いがあったりするのかななんて思います。

なんでも良いんですけど、誰かに「幸せでありますように」って思える瞬間を持ち続けていきたいなって思います。いまのところ私は写真を撮ることなんだと思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。写真展が続けられるようにサポートしていただけるとありがたいです…!