赤澤える

写真展「風和らぐ」被写体インタビュー/赤澤える(ブランドディレクター)

来年1月10日から開催の三浦えりの写真展「風和らぐ」
赤澤えるさんの展示予定の写真を先行公開します。

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赤澤えるさん
ブランドディレクター
LEBECCA boutique(レベッカブティック)ブランド総合ディレクターをはじめ、ファッションやPRなど様々な分野でフリーランサーとしてマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けており、その執筆でも高い評価を得る。
まず、私は赤澤えるさんという人がどんな感性を持った人なんだろう。それをただただ知りたかったのが、今回お声掛けしたきっかけなのかもしれません。
海外へ買い付けに行った際に目の当たりにした「服の山」。それを見て泣き崩れたえるさん。誰かにとっては手を上げて喜ぶようなその光景で泣き崩れたえるさんはどんな感性を持って今まで生きてきたんだろう。そう思いました。
そして、私の中でえるさんは「えるさん=服」と同じくらい「えるさん=言葉」でした。彼女の言葉には人を動かす力があるなと、LEBECCA boutiqueを通して、また彼女の発信から感じていました。今回の被写体のご依頼をするときのメールのやりとりも背筋をピンっとさせてくれるような優しさと気遣いがありました。
えるさんの言葉には相手の背中を優しく押してくれたり、ときには引っ張ってくれる力があります。そして、見たことのない世界を見せてくれます。そして、えるさんはものづくりに対して本当に深いところにまで優しさ持って取り組んでいると思います。(そこがエシカルに繋がると思っています。)だからこそ、LEBECCA boutiqueを愛するのと同じようにえるさんを愛する人たちがたくさんいるんだろうなと思いました。
そんな彼女を撮らせてもらえて本当に光栄です。えるさんを撮るのであればここで撮影したい…!と思った場所を用意しました。私なりの「赤澤えるさん」を撮影しました。

こんなに多く服が余っているのに、新しくつくる意味ってどこにあるんだろう

三浦:まず、赤澤さんのインタビュー記事で読んだ「LAに古着の買い付けに行った時、捨てられた服の山を目の前にして膝をついて大泣きした」というエピソードがすごく印象的でした。実際にその状況を見たときに、バイヤーさんだったら「宝の山だ!」「この中から好きな服を選べる!」って胸が高まる方が多いと思うんですけど、なぜ赤澤さんはその光景に涙が止まらなかったのかなと。

赤澤:私も、捨てられた服の山を見てこんなに衝撃を受けると思っていませんでした。もともと、「捨てられた服の山=宝の山だ!」って喜ばしい気持ちで買い付けを始められると思ってLAに飛んでるので、自分でも意外な感情だったんです。

バイヤーがそういうところに服の買い付けに行くっていう知識もあったし、検索すれば捨てられた服の山の写真もたくさん出てきます。だから、「服が世界中に余ってるんだなぁ…」「こんな現状があるんだなぁ…」って、知ってはいました。ただ、実際に捨てられた服の山を目の前にしたときの…なんて言うんですかね、その…自分の目で見た時の衝撃に圧倒されてしまったのが、いちばん大きいところだと思います。

LAには、そういう感情を抱きに行ったわけではないんです。でも、捨てられた服の山を目の前にした時に、自分が身動きも取れなくなって、ただただ泣くだけみたいになってしまって。想像が至ってなかったんでしょうね。

三浦:実際に、捨てられた服の山を画面を通して見るのと自分の目で見るのとでは、全く印象が違ったんですね。

赤澤:捨てられた服の山が宝の山に見えることは間違いではないと思いますし、私は否定するつもりはないんです。でも、私には「こんなに多く服が余っているのに、新しくつくる意味ってどこにあるんだろう…」っていうところに、グサッときてしまって。

三浦:そういう感覚って、初めてだったんですか?服とか関係なく。

赤澤:そうですね、そこまでの感覚は初めてでしたね。たぶん、今までも衝撃的な映像を見たことはあるはずだし、服が余っているってこともわかっていたので、その感情の種になる部分には出会ってたと思うんです。でも、自分が背負っているものがある上であの光景を見て、「このまま服を作り続けていいのかな」っていう気持ちになりました。

三浦:赤澤さんは、他のバイヤーさんと背負っているものとか目的が違うのかなってお話を聞いて思いました。「もともと服を作りたくて、ブランドを始めました!買い付けを始めました!」とかではなく、本当に今までの出会いやタイミングがあってという。

赤澤:他の方がどう思っているのかわからないですけど、たぶん、みんな古着屋をやりたくて、古着が大好きで始めているはずだし、私もそうです。でも、「自分1人で、独立して古着屋を始めよう!」という気持ちはありませんでした。背負っているものの大きさや重さが違うというか、それぞれ種類が違う感じはしますね。

「ファストファッションなんてなくなっちゃえ」と思っていました

三浦:お話を伺っていると、赤澤さんは「世の中の正解ではなく、自分の中の正解は何か?」という基準で、そのときの出会いとか状況を感じているのかなと思いました。

赤澤:私わりとその辺は、周りの人よりも疑問や違和感を感じる気持ちが強いのかなとか、感じるタイミングが多いのかなって思います。ブランドを始めた当初は、「ファストファッションなんてなくなっちゃえ」って思ってました。でも時間をかけてたくさんのこと学ばせていただく中で、たとえば安くたくさん買えるっていうことに喜びを感じる人がいることも正解だし、その方々に幸せを届ける人たちも正解なんだなって、思えるようになったんです。そこに間違いとかないんだなって。

ただ、ファストファッションを自分が選ぶのかって言われたら選ばないし、「大量に作られて、大量に捨てられて」ってところに「良し」って思えないので、自分は違う立場を取ろうと思っています。

私がディレクターを務めるブランド「LEBECCA boutique(レベッカブティック)」のワンピースは、1万円以上します。だから、安くたくさん買いたいと思っている人からは「値段が高い」って思われることが価値観の違いとしてもちろんあります。安くたくさん買えることに喜びを感じている人に、私たちが一体どんな想いで服を作っているかを伝えようと思っても、正直こちらが望むようには響いてはくれないと感じています。諦めているわけではなく、それが事実。
私は、“安くたくさん買えるということに喜びを感じる方”に対しては幸せを生み出せないかもしれません。でも、そちら側の人の方が世界中には多くいる。何度も言いますがそれはそれで間違いではないとも思います。

うちの会社にしろ、ファストファッションブランドって言われる世界中のブランドにしろ、悪いことをしてやろうと思って大量に服を生産したわけじゃなくて、そういう幸せを届けようとか、利益を求めようって一生懸命になった結果が「大量に安く作って、大量に捨てられて」ということを生んでしまってるってことなんですよね。

「なんでそれ当たり前なの?」って、考える癖が小さいころからありました

三浦:他の人よりも疑問とか違和感を持ち続けることが多いというのが話しに出たんですけど、それは小さい頃から?

赤澤:本当に小さい頃からですね。例えば…最近だったらこんなことを考える人も増えていると思うんですけど、小さい頃にいちばん疑問に思っていたのは「なんで家族ってひとつじゃなきゃいけないんだろうな」ってこと。

母親と父親がペアなことはわかるんです。人間同士だから、運命の人に出会ってそのままずっと死ぬまで…みたいな形も正解だと思う。でも人間だからこそ、誰かひとりを素敵って感じた気持ちと同じくらい、他の人を素敵って感じる感情に出会う可能性ってあるじゃないですか。

そのときに、別に私の父と母だけど、その前に男と女だから、他に大事にする人がいても、何かあっても別にいいんじゃないみたいな気持ちもあって。不倫なんて別に見たくはないですけど、「結婚して子供が生まれたら、男と女終了」みたいな感じとかそういうことが世の中にあるようなことにすごく違和感があって。父も母も魅力的な人だと思うからこそ。

三浦:それって、自然とそう思うようになったんですか?それとも、本を読んでとか勉強してとか…?

赤澤:特にそういう自覚はないですけど、本はよく読んでましたね。
あと、小さい頃に持っていた疑問とか違和感の大きなものはもうひとつあって。人を殺すってことはダメなことは解るんですけど、「人を殺した側の“本当にやむを得なかったこと”はないのか」って小さい頃に思ってました。

例えやむを得なくても殺人なんてやっちゃいけないことだとは解ってるんですけど、なんかもう本当に様々なことで心身共に疲れていて、何も考えられないっていう状況まで行った人が誰かを殺めてしまうとか…実際にはきっとあると思うんです。「こいつが殺人犯だ!」という世間の声で、本当のことがかき消されちゃうことはあるよなってすごく思ってて。

三浦:そう思う子供時代って、今の赤澤さんに絶対に繋がってますよね。服の山を見たときのあの感覚とか。

赤澤:今思えば、変な子供だったかもしれませんけど。うちの母親は、「あなたはそういうことを思う子なんだね」くらいの感じでした。だからなおさら自由に色々考えていられたのかもしれませんね。
「なんでそれ当たり前なの?」って考える癖があるのは自覚しています。1回引っかかっちゃう、みたいな。「なんでそれが普通なの?」っていう感じが、小さい頃から自分にはありましたね。

一生服屋かどうかわからないけど、一生文章は書くんだなとは思います。

三浦:赤澤さんというと、「赤澤さん=服」と同じくらい、「赤澤さん=言葉」っていう印象がすごくあります。インスタグラムでLEBECCA boutiqueの服を紹介するときも、服にこめられた想いを言葉でしっかり伝えていて、人柄が素敵だなって思いました。

赤澤:ありがとうございます。私、現代文以外の科目がまったくできなかったんですよ。数学とかは苦手という範囲を超えて、算数から苦手だったし。しかも「自分で考えて決めたことならやって良い」という家庭だったんですよ。だから極端な話、自分で納得するんだったら、宿題もやらなくていいし、テストも0点でいいっていう。そういうことで親に怒られた記憶はありません。

三浦:いいなぁ。

赤澤:母親の教育方針がそうだったんですよね。私はどうしても、現代文くらいしか楽しくなかったんですよ。だから、自然と国語の勉強をしている時間は長かったし、そこにどんどん快感を得ていく自分もいました。文章を通した表現に触れるのが好きで、本を読むことは小さい頃からずっと好きです。

三浦:LEBECCA boutiqueの服って、服だけじゃなくて言葉が添えられてるからこそ余白があるなと思っていて。LEBECCA boutiqueの服の提示の仕方っていうのがすごくいいなって思ってたんです。

赤澤:この作り方でしか服を作ったことがないから、今後もそうなるんでしょうし、一生服屋かどうかなんて今は分からないですけど、一生文章は書いていくんだなとは思います。服屋になってからなんです、文章を書く人としての気持ちがずっと消えないの。

前々から人に何と言われようと、文章を通して表現することや、その周辺にある自分の美意識は壊したくないなっていう想いが強くありました。だから今、私の言葉が自分の服に乗っているとしたらすごく嬉しいなっていうのはあります。

こんなに文章を褒められたのはLEBECCA boutiqueを始めてからなんです。現代文が得意だったり文章が好きだったりしたから、もうちょっとこっちの方が伝わるのになぁ…っていうことを、今までの人生の中で考え続けてきたと思うんですよ。それがたまたまこの仕事に出会って、私こそが語らなきゃいけないっていうときに、ハマったんでしょうね、きっと。今はこの生き方が心地いいですね。

三浦:服というものに出会って、自分がもともと好きな言葉がハマったというか。

赤澤:私は1人で服を作れる人間ではありません。例えば生地を選ぶとかパターンを引く、裁断するとか、全てにおいて自分1人では何一つできない。私が書いている文章ってある種、作っている服の「添え物」なんですよね。添え物が中心になっているこの感じっていうのにも、また違和感を感じる部分もある。

だから、私は主体のところをもっともっと学ばなきゃいけないし、違和感を覚えるような仕組みは自分の手元では変えなきゃいけないと思っています。
あとは「私が書く文章=服の添え物」っていうところを、添え物じゃなく文章が評価される状態、例えば本を作ってみるとか、そういうことができたらいいなぁ…って思う気持ちはありますね。今は、服屋ですけど、これからはどうなるかわからない。でも自分なりの正解を見つけていきたいと常に思っています。

写真展「風和らぐ」
場所 表参道ROCKET
日時 2020年1月10日(金)〜1月15日(水)

記事執筆:三浦えり
編集:せらなつこ
ヘッダー制作:カナメ@世界観デザイナー




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