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友達がいないコンプレックス

自分が好きなもの、大切にしたい時間、力になりたい相手、かけたい言葉、残したい文、共有しあいたい喜び

尊敬するスイスイさんから教えてもらったこと

ここ数日その言葉が頭をぐるぐる回っていた
最初は少し混乱して、段々と身体に染み渡るように噛み締めた
時間がかかったのは、自分の好きなものについて考えたことがなかったから
自分の気持ちがプラスに動くことに意識を傾けたことが、今までの人生一度もなかった
嫌なことに目を向けることに32年間の人生を使ってきた

自分の好きなことはなんだろう?


夫の家族
料理
仕事
スイスイさんのブログ
食べること
お酒を飲むこと

お金を使うこと
スキンケア
メイク
読書
YouTube

驚きだ
1人で完結することばかりだ
私の人生は私がいて、あとは夫と娘がいれば割と成り立つ
私にとっての最大のコンプレックスとはなんだったんだ、一体何に苦しんでいたのだろうか

友達がいないコンプレックス

これが私の胸の1番奥に常に重くのしかかり、
私の心とは裏腹な行動をさせ続け
まるで呪いのように24時間365日、
私の自己肯定感を下げ続ける
必死に悪縁に追いすがり
傷つき、怒り、絶望し、それでも手放せない友達という存在
その存在が全く浮かんでこなかったことが衝撃だ
私は今まで何をしていたんだろう
何に苦しんでいたんだろう
自分という存在に、いつ何時この呪いがかけられたのか、記憶を紐解いてみようと何度もnoteに下書きしたけど
紐解けば紐解くほど、おそらくまだ自分の中で消化できていない苦い記憶ががんじがらめになって余計パンドラの箱の扉を固く閉ざし、苦しくなるから
可能な限り簡単に、10分の1くらいに端折って書く


おそらくそれは姉の存在
そして母の因果だ
私には2つ上の姉がいる
姉は、小さい頃から容姿が良くて、人気者で、異性からよくモテて、友達も多くて、勉強もできて、損得勘定なしで人と関わることができる性格の良さもあった

私とは真逆な星のもとに生まれた人だと思う
否、生まれた人だと思っていた
でも今になって思う、実際はそんなことはなかったのかもしれない
持って生まれたものはそう変わらなかった可能性が高い
母親の洗脳がそういう錯覚を起こしていた
幼い頃から私は母に、容姿も能力も何もかもが人より劣っている人間として育てられた
母はそんなつもりなかったのだろうが、少なくとも私はそういう自己認識を植え付けられた

「この子はお姉ちゃんと違って骨が太いから、
似合う服を選ぶのが難しいの」
とママ共に愚痴っているのをよく目にしたし

人見知りで泣き虫な私は
「恥ずかしいからちゃんとして!」
と人前でよく怒られた。怒られて泣くと、
「なんであなたはみんなみたいに普通に出来ないの」ともっと怒られてごめんなさいと謝ると無視された
そして帰ってから母が父に、「この子は本当に手がかかる」と嘆くまでがセットだった

私も姉のように髪の毛を長く伸ばして可愛いヘアゴムで結びたいと言えば「顔がでかいから女の子らしいロングヘアは似合わない」
と強制的にショートカットにされたし、

私も姉が習っているクラシックバレエを習いたいとお願いすると、「スタイルが悪いからどれだけ練習してもセンターにはたてないよ」と断られた

全部5歳くらいの時の出来事だったように思うけど
私は人と比べて格段に劣っているんだと幼心に感じたのを覚えている
ちなみに私と母は、他人が見間違えるくらい容姿が瓜二つだ。性格も。
対して姉は父親に似ている

そして、母の携帯の待受画面は常に姉だった
制服姿の姉、成人式の姉、卒業式の姉、姪っ子と姉、画面の中の姉は時と共に姿を変えたが、そこに私が入ることは今も昔も一度もない

しかし、徹底的に差別して育てられたかというとそうでもなくて、
むしろ普段は私の方が甘やかされていた気がする

自分とそっくりな私を出来が悪いとこき下ろし、自分と全く似ていない姉を自慢の娘と見せびらかす
家の中でだけ誰にも知られないようにこっそり大切にする母の心の内に紛れもない闇を感じるが、知る由もないし知りたくもない
子供にとっての絶対的な存在は母親だ
その母親に否定の言葉をかけられ続けた結果、自分で自分の価値を測れなくなった
他人を使って自分の存在を認める方法だけを身につけた

姉は今だに学生時代の友達と子連れで定期的に集まったり、家族ぐるみでBBQをしていたりする
姉が第一子を出産した時に家に遊びに行ったら、ひっきりなしに届く友達からの出産祝いが溢れかえっていた
姉がインスタを更新すればたくさんのいいねが付く
お互いの幸せを願える数多くの友達が、彼女の人生には常に寄り添っている
私はその度に胸がギュッとなる

人間関係くらい、同じように、いや、姉以上にうまくやりたかった
すべては母の間違いだということにしたかったのだ
愛されるべき存在は姉ではなく私
そうじゃなきゃあまりに私が浮かばれない
たくさん友達がいる私でいれば家の中の評価をひっくり返せる
母の判断が間違っている、それを証明するのは、私が外で誰よりも愛される必要があった
自分も、家族も、自分という存在を認めてくれない先に行き着くのは他人だ
他人に認められれば、救われる気がした
自分の存在を図る安心材料として友達を利用していた
だからか、欲すれば欲するほど手に入らなかった
30になった今、まともな友達が1人もいない
自業自得だと思う
自分の価値を、人でしか測れないし、その物差ししか持っていない
そして今もその癖が抜けない

自分が好きなもの、大切にしたい時間、力になりたい相手、かけたい言葉、残したい文、共有しあいたい喜び

この言葉をもらった時、ふと思った
私はもう本当は、新しい物差しを手にしたのかもしれない。気付いていないだけで。
夫と出会った時か、娘が生まれた時か、あるいはスイスイさんの言葉によってか
わからないけれど。

好きに生きていいよと言ってもらえた気がした
自分のために生きて良いとよ背中を押してもらえた
私は自分の世界をどう彩れば世界が輝いて見えるんだろう
残りの人生で考えるのも良い
時間はたくさんある
スイスイさんにこの言葉をもらってからの明日が、今までよりもちょっと楽しみになった

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