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わたしが静かな海と名乗る理由

先日、美しい日の記憶についてお話をしました。
今日はそのうちのひとつ、「静かな海」のお話をしたいと思います。
わたしがそう名乗るようになった理由です。

↓ちなみに、美しい日の記憶についての話はこちら。


子どもの頃、よく家族で海に遊びに行きました。
両親の影響から海が大好きで、サーフィンをしたり、貝殻を拾ったり、ビーチクリーンをしたり。
夏場だけでなく、雨の日や真冬にも遊びに行ったので、一年中肌は日焼けでこんがり焼けていました。

その日は確か、両親の友人で、貝殻アクセサリーをつくる職人さんの、浜辺にある工房へ遊びに行ったのでした。

工房は小さなプライベートビーチのような場所にありました。
私たちもアクセサリーを作らせてもらうことになり、機械の順番を待つ間、目の前のよくよく透き通った海で泳ぎ、岩場の魚を観察して過ごしたのを覚えています。
カラフルな魚や、小さなサメがいました。

大人たちに手伝ってもらい、夕方ごろ無事にアクセサリーは完成。
仕上げ磨きをしてピカピカになった貝を眺めるわたしを、職人さんは手招きし、工房の窓際に立たせてくれました。
2人で窓に背を向けて立っていたので、先程まで泳いでいた海にも背を向けている形。
職人さんの真似をして、手に持っていた貝を目線より少し高い位置に掲げるようにしました。

「見えるかな?」

磨き上げられ、鏡のようになった貝の表面に映る海を見た瞬間、周りがすごく静かになったのを覚えています。

沈みかけた夕日が、美しい海の上にオレンジ色の道をまっすぐに指し示していて、いつでもここに大きな愛は在るのだと、なんだかよく分からないけど納得したのでした。

「見える」
とだけ言い、貝に映る海をじっと見つめるわたしに職人さんは、
「この海や太陽が、貝の中で愛海ちゃんをいつも守ってくれるよ」。
そう言ってくれたのでした。


あの瞬間の記憶を、いつも持ち続けていて。
どんな時も海が枯れる事はなく夕日が道を照らさぬ時は無いと思い続けて、生きてきました。愛はそこにある。
この記憶をこれからも持ち続けて生きていきたいと思ったので、わたしの名前としました。

ちなみに両親が贈ってくれた方の名は「愛海(まなみ)」というもので、こちらもとても気に入っています。
わたしの中で、愛はいつでも静かにそこに在ると感じることが多いので、「静かな海」という名前もそこまで逸れていない気がしています。

あ、あとTwitterで作品をシェアするようになってから、「うみさん」と愛称で呼んでくださる方も多いのですが、それも大好きです。かわいいから。いつもありがとうございます。


今日は20年近くわたしの胸の中にある、小さくて大きな「静かな海」の話をしました。
みなさんの持つ美しい記憶の話も、もし良ければいつか聞かせてください。

それではまた来週も、ここ陽だまりのかけらで。

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