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喧騒の中でしか歌えない歌

東京駅で乗り換えをする時、わたしは透明人間になります。

京葉線のホームから動く歩道を行き、長い乗り換え。
色々な所で暮らすたくさんの人が行き交います。
みんな歩くのが本当に早くて、人を追い抜かす時も人とすれ違う時も、不思議なほど誰も他人を気にする様子はないのです。

大抵歩くのがとても遅く荷物もかなり多いわたしは追い抜かれる側ですが、行き交う人を見ていると車窓から見る景色を思います。
周りの世界はどこか他人事で、作り物のように見える。
音は混ざりきってしまって、誰かに声をかけられたとしても多分気がつけない。


そういう時、わたしは決まって歌を歌いました。
マスクだらけの世界になる前でもです。
乗り換え先のホームに着くまでの歩く間、好きな歌を、喧騒に紛れて、隠れず歌いました。
誰もわたしのことは気にしていないし、歌っていることにも気がつかない。
だって、いまわたしは透明人間だから。

透明人間であることを確かめるために、歌うようでもありました。
ここでは、みんな私に興味がない。
私がこんな風に歌っても、誰も振り向かない。
好きなように歩いて、歌って、それを笑われることはない。
その事が新鮮で、すごく嬉しくて、どこで歌を歌うよりも楽しく歌えるのでした。
どこもかしこもそうでは無いけれど、あまりに他人に興味がありすぎる人ばかりの場所で生きてきたわたしにとっては、そういう場所がこの世界にあるということが救いになるのでした。


連日の涼風が吹く前、熱波の中で大勢の蝉の鳴き声を聞いていた時。
蝉の鳴き声に紛れて、夏にだけ歌える生き物もいるのかもしれないと思いました。
「だって夏なら、みんな耳を澄ますことはないでしょう?」
分かるよ、その気持ち。
でもきっと本当は、静かな冬の雪の日にだって、好きな歌声で歌っていいのだよ。
誰に指をさされても、わたしは立ち上がって「最高だよ!」と拍手を送るよ。


掻き消すありがたい喧騒に花束を。
聞こえぬ歌声に喝采を。

いや、掻き消えて良い声などない。
本当は花束ではなく中指を。
聞こえぬ歌声に喝采を。

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