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黄金色の小麦畑に君は誰を想う

人生は複雑だ。異論は、申し訳ないけど認めない。
幸せも、愛も、痛みも、虚無でさえ、絡まり合ってどこから解いてゆくべきかわからない。

人生はマラソンだろうか。
人生は旅だろうか。
人生は雨だろうか。
終わりのあること、探し続けること、あるいは晴れ間がやってくることを表すそれらの比喩はどれも、いつだって私の人生にしっくりとくることはない。

私が大切に抱えてずっとずっと運んできた箱が唐突に開き、中身をまじまじと観察することになったその日。
この重み、さぞ美しく重厚なものが入っているのだろうと覗いて見ると、実は中身は空っぽだった。
あれ?と視界が歪み、空っぽと気がついた途端にその箱は軽くなるどころか、なぜかより重く感じた。
手が震え大切なこの箱を落っことしそうだと恐怖したけれど、私は自分の掌をその箱に紐でくくりつけ、この箱を落とすときは私の手が無くなる時だと意固地になった。


そう簡単じゃない。生き続けてゆくこと。
そう簡単じゃない。誰かの幸せを願うこと。
そう簡単じゃない。私が私をちゃんとに幸せにすること。
どんなにカケラを拾い集めても、絵の具のバケツみたいにいつの間にか濁ってしまう事もあるのだから。

愛を思う時、いつだって星の王子さまを思い出す。
私が何度だって読み返すのは池澤夏樹さんの翻訳のもの。
思うに、私はとうにたくさんのものに飼い慣らされてしまって、小麦畑だけでないこの星に存在するすべてのものにあなたやあなたやあなたを見つけてしまうのだと思う。
ああ、美しかったと。ああ、あなたにも見せたかったと思ってしまう。


だから私は今日も遠い知らない国で作られた映画を観て、知らない言語を聴きながら2時間と少しの人生を埋める。
知らない誰かが考えた言葉で心をいっぱいにして、まだこの世界には知らないことがいっぱいあるのだと言い聞かせている気がする。

旅に出られる。
きっとそこには誰も見つからない、あなただけの美しさを見つけることができるよと泣きながら思う。

涙の海を私はいつだってすいすい泳ぐ。
どんな理不尽の中にいても、私はこの世界を愛してしまったから。
YouTubeで大好きな雨の音を聴きながら、大好きな歌を口ずさみ、ぼろぼろの文章をここに。

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