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『自分は自分』が困難な現代のヲタク。

大勢が良いと思っている『価値観』『常識』にどうしても賛同できずに悩むのは、とても普遍的な事です。広い視野で言えば、ヲタクだろうとヲタクじゃなかろうと、誰しも世間とのズレに疑問を抱くことはあります。が、ここはあえてヲタクという括りで書きます。

テレホタイムにチャットで夜な夜なキーボード叩くより前からヲタクやってる人間として、現代ほどヲタクとして生きるのに苦しい時代はない!と痛感する出来事がありました。

『鬼滅の刃』の童磨というキャラクターの声を、誰が演じるのかという話題について。私は童磨というキャラクターをとても気に入っています。だからこそ、なんだか声優は誰か?の一連から決定までモヤモヤせずにいられませんでした。宮野真守さんが演じる童磨は、イメージより少し声が高くて綺麗過ぎるかな……と感じましたが、実力のある声優さんですので、これから頑張って下さい!という応援の気持ちです。

それよりも、「やはり童磨は宮野真守しかいない!」「原作の童磨と同じ声!」という言葉に、心をかき乱しました。

原作と同じ声って何!?!?!?!?

遊郭編の最終回を観た夜、朝まで満足に寝入ることが出来ませんでした。自分でも驚きました。「宮野真守の為のキャラクター」と絶賛され、宮野真守という人気声優さんの強烈な個性の前に、童磨というキャラクターが薄れてしまう事にショックだったのです。

ただ、宮野真守さんのファンの中にも「これから鬼滅声優って呼ばれるのが嫌」という人を拝見し、宮野真守さんくらい有名な声優になると、演じるキャラクター・作品ごとに賛否両論が起こって大変だな……と、少し可哀想な気持ちにもなりました。

『声がイメージと違う』これは本当によくある事です。100人いたら100人が「イメージ通りだ!」という事はありえません。だからこそ、「イメージ通りだ!」と喜ぶ人には、心から「良かったね!やったね!」と思います。

さて、この盛り上がりがネット上では記事になります。その「視聴者大歓喜!」という空気が「現代において最も厄介だ。」と感じたのです。

そもそも古よりヲタクやってる自分は、マイノリティーである事が当たり前でした。でも、そこに負い目も後ろめたさも全く感じていません。私が世間より少しズレていたり、少数派の思考を持っていたとしても、それを受容してくれる友達や、理解ある家族に恵まれていたからです。

しかし、現代ではSNSが普及し、Twitterのトレンドがやたらとニュースになります。中には「それはおかしい」と一言言いたくなるような攻撃的な見出しまで添えられて、記事について人々があーだこーだ書き込んだり、引用して自分の考えを述べる現代。PV数が稼げればいいのですから、注目を集めるような書き方をするのは当たり前とわかってはいるのですが、対象のものが好きであればこそ、マイナスな印象の記事に心は疲弊します。

更に、今回は上記にあるような「自分はそう思わなかったけど、皆は喜んでいる」という、世間とのギャップをまざまざと突きつけられ、「喜べない私はなんなの?おかしいの?」という思いで苦しかったです。最終的には「見なかった事にしよう」で終えましたが……。

ヲタクって、昔は世間から少し後ろめたい感覚が合ったのに、今では大衆的な趣味として普通になってます。SNSには大勢のお気持ちが溢れていますし―――でも、だからこそなんだか『変なこだわりを持ってるヲタク』って生きにくい世の中になったなと感じます。

そして、自分も随分年齢を重ねたけど、まだまだ精進が足りないと気付きました。沢山の人が喜んでいるのに、自分は喜べなかった。本当はその疎外感に傷つく必要なんてないんですよね。大切なのは自分がどう思ったかで、その価値は数の多さで決まりません。自分は自分、人は人ですから。私がどう思おうと自由ですし、だからこそ違う考えを持つ人にも優しく接する事が出来ます。

この記事を読んで、嫌な気持ちになった方がいらっしゃたら申し訳なく思います。どうか、こんな個人の戯言なんて気にせず、御心健やかにお過ごし下さい。

ちなみに、私が童磨を演じてくれたら嬉しいなと思ってた声優は子安武人でした(お察し下さい)一番好きな宮野真守は、羅小黒戦記の无限です。

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