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幻想即売会〜あるいは差入れについての叫び〜

「即売会って凄いんだろうな。」「一度で良いからコミケに行ってみたい。」「世の中が落ち着いて余裕が出来たらサークル参加してみたいです。」こういう言葉、ヲタクに限らずよく耳にします。

確かに、リアル即売会は謎の巨大エネルギーでビックサイトが熱気に包まれます……が、実際は何の下調べもせずに行っても何が起こっているのかわかりません。フラッと行っても用のない人には容赦なく用のない場所です。ただ足を踏み入れただけでダンスミュージックにノッてウェイウェイ出来るようなパーティ会場ではないのです。

以前叶姉妹さんがジョジョサークルに降臨された際、私は2つ隣の島に配置されていたのに全く気づきませんでした。周りの本が自分の嗜好に合ってるかどうか吟味に集中していたのです。イベント時は、常にエネルギーが内なる心の焼却炉でバンバン燃えて(萌えて)いますが、行動は至って冷静です。会場も多くの場所は落ち着いています。例え叶姉妹さんが現れても、それは崩れません。

それにしても、昨今は撤収が早いので午後からの寂しさが尋常じゃありません。コロナになったら撤収が早いどころか頒布が1時間のサークルさんも居ます。某所でお隣になったサークルさん(一人参加)は1時間のうち開始20分程はお目当てのサークルを廻ってお買い物しているので、本を買いに来た参加者が、不在のお隣サークルをウロウロし続ける光景となりました。買い逃す事など許されないのはよくわかります。開始1時間~1時間半くらいの人工密度は凄まじいのですが、2時間経つと(大体正午過ぎですかね)会場はスカスカ状態です。(ちなみに、これは赤ブーなど二次創作の即売会の話です。コミティア等オリジナルの即売会はまた全然違います。)

コロナ前はアフターがあれば、撤収後に大所帯で移動する為、会場に人は居ました。しかし頒布物は荷造りして仕舞い、サークルの机は休憩スペースの様になってたりします。とにかく、二次創作の即売会の14時過ぎは一段落どころの落ち着きではありません。昔は15時に終了のアナウンスが流れ、拍手で労い、それから撤収作業でした。今は15時に拍手をしたいと思ったら、少しの意地が必要です。もちろん即売会は今も昔も最高に楽しいのですが、年々淡白になっている気がします。

『イベントでの注意!』みたいな定期のツイートに対し「案外そうでもないよ」と現場の人は感じても、やたら大げさに膨らんで、膨らんだ幻想がいつしか現実になる。その一つが『差入れ文化』です。

例えコロナ禍であっても差入れ文化はなくなりませんでした。これは明らかにツイッターで「差入れありがとうございました!」画像が一般的になってから加速したと感じてます。昔から大手や神本創造主に貢ぐ事はありました。旅行先や地元のお土産を、仲の良いサークル主と売り子さんへ渡す事も、お隣さんへご挨拶の意味で渡す事もありました。でもそれだけです。まるでクリスマスプレゼント交換会の様に『なくてもいいけど、あって当たり前』ではなかったのです。

私はこれが心底めんどくさくて、コロナ前まで良い感じのお菓子とお茶を売り子さんに頼んで準備してもらってました。正直に言ってしまえば、イベント前は余裕がありません。新刊は入稿したけど、その後も当日までペーパー刷ったり、コピ本を折ったり……。「新刊が何よりの贈り物です!」という言う気持ちなのですが、折角もらった差入れに対し、サークル側としても心ばかりのお返しをする……というのが定着していました。今は行っていません。繰り返しになるけど、めんどくさいのです。別に差入れは用意しなくていいんです。

本当の事を言うと、折角……本当に折角頂いたお菓子をどうしても食べきれずに捨ててしまう事があります。本当に申し訳ないので、この文化が衰退しますようにと願っていました。感染症は、そのいいきっかけに―――ならなかった。先に書いたように、差入れ文化はコロナ禍で減りはしてもなくなりませんでした。

差入れ文化に嘆いて友人と語り合った事があります。一つ『みんなイベントに参加している実感が欲しいのでは?』という見解が出ました。即売会は当サークルのような古の同人描きもいますが、ご新規さんも頻繁に入ってくる代謝が活発な場所です。ご新規さんにとっては特に、お話するタイミングを作れるツールとして、差入れが良い役割を担っています。

しかしトラブルの元にもなるのです。数年前、ツイッターに上がった差入れ画像を見て「私が送った差入れがない!」と嘆く騒ぎが話題になりました。(ちなみにこれ、きっと食べちゃったんですよ。普通にありますよ、お腹減ってその場で頂いちゃう事。)自サークルは差入れ集合写真をあげません。このように何らかのトラブルになるのが嫌だからです。そもそも贈りものを晒す行為自体に、その品の無さにがっかりします。

差入れは、とても高額なものから町内子供会の様なお菓子詰め合わせまで、どれも頂いた身として価値は同等です。同等に有り難いのです。わざわざ何を贈ろうか考えてくれた事、稼いだお金を割いてくれた事を本当に有り難く思います。しかし一度集合写真にしてしまうと優越がついてしまう。もし……もし、「私の差入れ貧相だな」とか「奮発したのに、もっと凄い差入れしている人がいる!」なんて、贈り主さんが嫌な気持ちになると思ったら!申し訳無さすぎる!

贈ってくれた方の心をざわめかしたくない。描き手の気持ちとして、変な気負いをせず純粋に本を楽しんでもらいたい思いがあります。差入れ一件で心をモヤモヤしながら本を読んで欲しくないのです。

何度でも言います、差入れは用意しなくていい。もし心添えをしたいのであれば、本を買い手渡された瞬間に「楽しみにしていました。大切に読みますね。」と言って頂けたら、もうそれだけで最高です。

『差入れお断り』と事前に告知するサークルさんもいらっしゃいますし(もちろんコロナ前からです)別の視点で、サークル間で「あの人はあんなに差入れ貰ってるのに、私はこれだけ……」と感じさせたくない、人のモチベーションを下げたくないというお節介心もあります。

絶対に誤解して欲しくないのですが、決して差入れ文化を批難したい訳ではありません。

記事のテーマから、話が大きくそれました。着地点として、昔とんでもないルーズソックスが流行った経緯と一緒だと考えています。

ここ数年もルーズソックス流行りを見受けますが、90年代ほどのトンデモボリューム感、誰も彼もがみな履いているというブームはないように思います。今見ても「なんだこれは?!」ですよね。もちろん90年代当時も「なんだこれは!?」でした。

田舎のギャルが雑誌で『原宿でブーム』と情報を仕入れ、都会に行く際に戦闘服のようにルーズソックスを装備します。すると本当に誰も彼もがルーズソックスを履いている。しかも自分より凄いやつ。それを地元で「ホントにみんな履いてた!しかももっとスゲーやつ!」といって、スーパールーズソックスを取り扱うお店を探したり2枚履きしたりする……しかし、原宿・渋谷で見たスゲーやつも、また別の田舎からやってきたギャルで、要するにルーズソックスブームは、都会で流行っているという勘違いをした地方ギャル達が起こした流行でした。

イベントのお祭り騒ぎ感も差入れもこれと同じものを感じます。どうか『昔イベント参加してた』とか『何度か行ったことあるよ』という人達の大げさな武勇伝や変なしきたりに惑わされないで下さい。現場は至って秩序ありです。

本を手にとってもらったり、神本に出くわしテンション・モチベーション爆上がり!このパッション次の新刊でブチ撒かずにおられるかぁぁ!!となるのは本当です。

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