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見つけた宝もの✨

こんにちは😊えりなです。今日は少し前に気がついた小さな発見についてお話ししたいと思います。

わたしの家の近所には、数kmにわたってまっすぐ、人工的な小川が流れています。おそらく昔はドブ川だったのではないかと思われるその小川に沿って、小道が続き、植物も多く植えられていて、お散歩にはもってこいです。小川と小道を挟んだ両岸には、基本的に民家が並んでいます。一本続く小川なので、場所によっては片側が、一車線の道路であるところもあります。

この、小川が流れる小道に、わたしがとても気に入っている場所があり、そこは、前後に横断する二つの車道に挟まれた一画で、小道の隣には、かなり昔からあるであろう大木が並んだ民家があり、対岸にあたる小川の隣りには、かなり古いアパートが建っています。この何本か並んだ大木は、毎年春を過ぎると緑が深くなり、向かい側のアパートまで届く勢いで葉っぱが繁ります。

わたしはこの道を、子供を通園させるために使うのですが、緑が茂る夏近くになると、1人での帰り道、この途中で立ち止まり、上を見上げるのが楽しみです。

わさわさと茂る葉の隙間から、太陽の光が煌々と照らす様は、自然の美そのものです。

そんな大好きな場所に建っているこのアパートは、当然わたしの目に止まり、その今にも届きそうな緑に包まれる雰囲気に、わたしは息を呑みそうなほどでした。と同時に、この緑によって、雰囲気はとても良いけれど、どう考えても安いであろうそのアパートに、一体どんな人が住んでいるのだろうなどとも通るたびに考えていました。やはり老人かな、それとも生活保護の人かな、と考えを巡らせることもありました。どちらにしても、その安アパートに住む人を連想する時、裕福でない人なのは間違いありませんでした。

そんな折、ちょうど去年の夏頃になりますが、わたしはお迎えに行った息子を乗せて、自転車でそこを通り抜けるところでした。そして、何の気無しに、そのアパートを見ると、窓が完全に開け放たれた一室が目に映りました。窓のすぐ横に置かれた革張りの1人掛けソファーにゆったり座り、おじいさんが、遠目から見てもわかる、決して安くはないであろうヘッドホンをつけて、音楽を聴いている姿が目に飛び込んできたのです。

その様は、大袈裟に例えるならば、まるで裕福なお屋敷の窓際で、クラッシックを聴いているおじいさんです。

わたしはこの光景を見た時、気づきました。精神的豊かさと、物質的豊かさが、必ずしも比例しないということを。

そして、その緑に包まれた、どう考えても安いアパートで、1人の老人が悠々自適に暮らしている様を見て、自分が知らず知らずに、表面的な豊かさに囚われていたことにも気付かされました。

わたしはこの光景を見てから、どんなところに住んだとしても、あの老人の様に悠々と生きていたいと思うようになりました。

そして、まさか自分がと思っていたけれど、知らず知らずにあった、隠れた見栄のための、できれば良い家に住まなきゃという気持ちがあっと言う間に薄らいでいきました。

我が家は、とても勝手の良い賃貸マンションですが、まだまだお付き合いが続きそうです😊


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