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ドレッシングの一振りも、もらえないなんて

 山河勇気は、今夜もノートパソコンに向かっていた。
 テレビ制作会社に勤める山河は、以前数年間シンガポールに住んでいたというだけの理由で、同業者から翻訳の仕事を頼まれる。ちょっとした翻訳なら、翻訳会社に頼むよりもだいぶ安く仕上がるからだろう。今夜もそんな依頼の一つをこなすために、夜なべしていた。もともとそんなに英語が得意なわけでも、好きなわけでもない山河は、心底うんざりしていた。

 気がつくと、朝になっていた。パソコンは開いたまま、眼鏡は顔にめり込み、荷物は出しっぱなしだ。大急ぎで全ての荷物をスーツケースにぶち込み、集合場所に向かった。起きてから7分。山河は階下の待ち合わせ場所にいた。今朝は2回大便をしたから。いつもなら4分で行けたのに。チクショー。

 テレビ業界は、世間の知る通り、多忙を極める。AD(アシスタントディレクター)ともなれば尚更だ。撮影隊が泊まる場所の予約、取材先との連絡、撮影後のデータ整理や編集などなど細々しているが積み重なると厄介な仕事は、全て彼にまわってくる。
 そんな中でも、彼が寸暇を惜しんで通う場所がある。風俗店だ。しかも妻公認だ。妻で満たせない癖は、外でお金を払って満たす。

 今回の宿泊先も、筋向いに風俗店があった。山河はホテル到着後、早速ウェブサイトを確認してみた。流行り病対策のためにマスク着用、お触りなし、手でシてもらうので30分一万円。うーむ。さすがの山河も、このサービスで30分一万円払うくらいなら部屋で30分編集作業を進めた方が良いと考え、「本日の風俗巡り」は見送った。
 とはいえやっぱり溜まるもんは溜まる。悶々としながら、山河は編集作業をこなし、知り合いのディレクターから頼まれた翻訳作業に手をつけた。

 今日のロケでは、猟師の生活を取材する。猟師の朝は早い。主要駅の前にあるホテルから山奥の取材先に行くために、朝4時には出発しなければならない。
 ロケも始まって数日経ち、連日の撮影に連夜の編集。宿泊先はディレクターと同部屋。自分でスる時間もない。
 日本中に、自分と同世代、つまり3、40代の女性が何人いるか知らないが、仮に7000人とする。その7000人、一人一人の
ドレッシングの一振りも、もらえないなんて。

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