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「申し訳ない」より「ありがたい」

昨日、こちらの記事を投稿したところ、
今までで一番と言っていいぐらい、
たくさんの(インスタ)コメントを頂いた。

いろいろな方がいろいろなコメントを
書いてくださって、
読みながら新しい視点を発見したり、
自分が何を考えていたかが
より鮮明になったりした。

そんな中での気づき。

私の一番大きな「喉に刺さった骨」は、
あんまり働けないことでもなければ
稼げていないことでもない。

彼はこんなにいろいろしてくれているのに
私は何も(経済的に)貢献していなくて
ごめんなさい…。
という「申し訳なさ」が一番の問題だったのだ。

彼は、私がどんなに小さな家事でもこなすと
“You do so much. Thank you.”
「君は本当によくやってくれている。
ありがとう」と言ってくれる。

だからこの申し訳なさは、彼のせいではない。
自分の中の「罪悪感マネジメント」案件。

彼は、私が居ないと家事が全く進まない
というタイプではない。
むしろ私より綺麗好きだし
家事に関してこだわりを持っている。
私が居なくても困りはしないだろう。
と常々思っている。

だからどんなに彼に「君は家事的な面で
貢献している」と言われても、
貢献できていると実感できない自分がいる。

世間的な価値観、というか自分が
「世間の人は皆こう思っているんじゃないか」
と思っている価値観で見て
普通の水準に達せていず、
「こんな自分じゃダメなんじゃないか」
と自分に対して思ってしまっている。

動けないことも、アップダウンが激しいことも、
あんまり稼げていないことも、
全部「世間一般で言う普通に達せていない」
という劣等感のようなものに、繋がっている。

そこで私は苦しんでいるのだ。

しかし一人の友達が言ってくれた言葉から
気づいた。

もう、申し訳なく思うのはやめよう、と。

経済的に頼りきっていることを
申し訳なく思うよりは、
感謝をもって受け入れた方が、
自分の精神衛生上良い。

そして今まで罪悪感を抱いたり
申し訳なく思うことに費やしていたエネルギーを
もっと建設的な方に向けた方がいい。

これは、基本的で当たり前な事
かもしれないけれど
最近の私は自分の悩みが脳内で肥大化しすぎて
気づけていなかった。

彼は私と居てハッピーだから、
ずっと一緒にいる。
それ以上でもそれ以下でもない。

私の年収は関係なく、
私がバリバリキャリアウーマンかどうかも
関係ない。

ただ共に在りたいと想ってくれている相手と
一緒にいる時、
そこに申し訳なさや罪悪感を滑り込ませるより
感謝と愛を最大限に示す方が、よっぽどいい。

自分もハッピーだし、彼もハッピー。
こんなに自分が理想としていた関係を
築けたことに、もうちょっと自信を持とう!



私は、文章を書く時、だいたい自分の経験から書きます。したがって、いただいたサポートは、今後も様々な経験をしにいくことに使わせていただきます。