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ブームだから、存在していい?

昔、元彼👨🏾‍🦱🇨🇦と話していた時の事。

元彼が「日本ではミックス、
特にブラックミックスの子が差別されている」
と言っていたので、
私が「え、でもさ、
今ってブラックミックスがブームで、
そういうモデルさんいっぱいいるし、
めちゃくちゃ活躍してると思うよ」
と言ったら彼が
「じゃあ彼ら彼女らは
かっこいいから綺麗だから、
日本でブームだから存在していいの?
彼ら彼女らはただの流行り廃りなの?
そのブームが終わったらどうするの?」
と聞かれたことがあった。

当時の私は、え、ブームなんだからいいじゃん?
褒められてるというか、プラスの事なんだから、
素直に受け取ればいいんじゃん?と、
ひじょーーーーーーーに軽々しく考えていた。

最近になって、
やっと当時の自分の考えの危険さが分かった。

「人間は生まれつき不可侵の人権をもっている」
と言ったら話が大きくなるけれど、
でも本当にそう。
どんな人でも人権は保障されているべき。

そして、自分の生まれ育った国で、
他の国での生活を知らないという状況において
何かに秀でていないと
その国で(感情的側面において)
受け入れてもらえないのは
あまりにも悲しい話だ。

そしてブラックミックスの子供たちは
メインストリームの日本社会の
目を楽しませるために存在しているのではない。
この社会に彩りを添えるために
存在しているのでもない。
「この社会(の多数派)のために貢献しているから
この社会に存在していいと許可されるべき」
でもない。

存在しているから
存在しているのだ。

それ以上でもそれ以下でもない。

日本における日本人の子供たちも
日本社会に貢献しているから
存在していい、と認められるわけではなくて
存在しているから存在しているのである。
それと同じである。

多数派の人間が
ポジティブなステレオタイプを手に取って
(意識していなかったとしても)
その対象者を評価したり判断したりするのは、
傲慢だと思う。

例えばヘテロセクシャルな人が
「ゲイの人たちはファッショナブルで
体鍛えてる人が多くてかっこいいからいいと思う」
と言っていたとして
じゃあファッショナブルじゃないゲイの人は?
体を鍛えていないゲイの人は?
彼らはダメなの?

これは違うと私は思う。

貶したり差別をしたりするのはもちろんダメ。
褒めてもダメ、じゃあどうすりゃいいんだよ?
という疑問が湧いてくる人もいるかもしれない。

「属性(人種やジェンダー、性的指向など)が
違っていても、自分と同じ人間だという
前提に立って考えてみれば
自分がされて嫌な事はでしょ」
と一瞬考えたが、
多数派の人間が当たり前の事として
享受している権利を
少数派は享受していない、
という不均衡が既に存在している時点で既に
同じ事をしても
同じように作用するわけではない。

私の個人的な理想は、

「気にしなくていい世界」

多数派が少数派を無視する形で
「気にしない」のではなく、
あまりにも公平な社会が実現されていて
みんな違うのが当たり前で
個人個人が当たり前にお互いを尊重している世界。
違いはあっても、多少の距離をおいて共存したり
コミュニケーションを取って
溝を埋めようとしたりできる世界。
当たり前の事が当たり前になされているので
「気にする間でもない」それが理想。

私は社会運動に参加して
平等な社会の実現を声高に叫ぶわけではないけれど
少なくとも私自身と周りの小さな世界においては
人を受け入れてあげる/受け入れてあげないと
判断することにつながるような傲慢な事はせず
その人をその人として愛したり尊重したり
していきたい。



私は、文章を書く時、だいたい自分の経験から書きます。したがって、いただいたサポートは、今後も様々な経験をしにいくことに使わせていただきます。