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知る、わかる

小学生の頃だったと思う、原因は忘れたけど母と喧嘩してるところに仲裁に入った父から、
母の気持ちや立場をこんこんと説かれたときに「そんなのわかってる!!」と言い返した。

その瞬間、穏やかで優しい口調だった父は厳しい表情になり、
「エリナのそれはわかってるとは言わない、知ってるだけだ」強い口調で言った。

ひどく驚いて、何も言い返せなかった。
たぶん、言われた意味もよく理解できていなかった。
「知ってる」と「わかってる」の違いを認識していなかったから
飛び跳ねた(それくらい衝撃的だった)ような感触が残ってる
それ以来、ことあるごとに思い出しては反芻した。

今思うと、「知っている」は知識、それを外側から観察したり、表面をなでたり
対象として認識していること
「わかる」は、それの内側に入り身体感覚や立場や感情や視点すべてを
自分がそれになる、なりきったうえで体得するもの、のように思う。

前回投稿した記事を読み返しながらまた浮かんだ思い出。

何にもわかってないなぁ、落とし込めてないなぁと凹みつつ。
せっかく、並行、垂直、そして奥行きの視座を提示してもらったのに
うわぁってときめくような感触を得たのに自分が綴るときにその概念や感覚は浮かばなかった。
まだ知っただけで血肉にできていなくて。
イメージしたときに時間の流れと共に、自分の体で前を向いている視点が浮かぶ、前と後ろ。
立体感と柔軟な時間軸を無意識に無視しちゃってる。

最近、今のそのままの自分を表出しようって思い立って
あれこれ記していると、コメントや諸々の反応をいただけるのが
ありがたかったり面白かったり。もっと書きたいって気持ちにさせられる。

そして、後で読み返して自分の盲点や足りないことに気づけるのも、
あちゃー…😵、とイタい思いしながら省みることができるのも、また面白い。

イタかったりはずかしーってひとりであたふたしたりするけど
そんな感触がかえってきざみこまれて血肉になっていく、ように思う(希望的観測)

書くのは楽しいし、糧になりますね多分って話でした😇

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