恐怖がなければ人間ではないという嘘

自分が一番恐れているものはなんだろうか。そんな疑問を耳にすることがしばしばあるが、それを問うことよりもなぜ恐れているかの方がよっぽど重要だと私は思う。怖いものは永遠に怖くはいてくれない、いつか怖くなくなってしまう、それを私は経験則で知っているからだ。そして人はしぬ。そこまで考えると、なぜ今現在の私は恐れているだろう、という気分になってくる。きっと、まだ怖い自分を手放したくないから、だ。そこに得られるものがある限り。メリットがある限り。怖さから解放された瞬間に、自由の不安定な世界へ放り出される。それに耐えうるだけの私でない、と勝手に解釈して枠にハマっていたいのだろう。いや、ここまでの話は誰にでもあるものかもしれない。そんな普遍的な考えを持っていたところで何者にもなれない。どちらにも振れない。ただこのもがくという行為に私は美しさを感じるのだ、その人間らしい何処にでもある醜さが死ぬほど魅力的なのだ、本人が墓に入っても見せまいとするようなその、ヒト臭さが。そこを肯定している限りにおいては、私はこの地球という世界で人間として生きている権限が得られる気がしている。我ながら、バカだと思う。


ただそんな私も、神に最もちかい、人間の形をした宇宙人に出会った。見かけ上は極めて普通の化けの皮を被ったイキモノだ。そこで自分の人間さと人間から逸脱している部分を知ることになる。だから?何が変わったか?何かを知ったところで何かになれると思うか?ならねえよ、変わんねえんだ。一生変わんねえの。少しずつ脱皮するように心が穏やかに包まれていくの。何かに変化するなんてこと、期待するなんて、なんて私は人間臭いのだ。


どうも〜