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鬱病母親の子育ては100点満点

 こんちには、よく元気になり、よく落ち込むetomoです。今日は私の家族について書きたいと思います。まず、家族構成と、それぞれの簡単な紹介文を書きます。

・母親→鬱病で糖尿病。壮絶な人生を歩んできた尊敬できる人。
・父親→無口な働き者。なんだかんだ言って母を大事にしてる人。
・姉→タフな働き者。私とは見た目も性格も正反対な人。
・犬1→のんびりマイペースで食欲旺盛。怒ると怖い。今はもういない。
・犬2→甘えん坊で寂しがりや。一人ぼっちで散歩はできない。今はもういない。

犬のことは書くことなかったかな、でも、私が思い出したかったので書いてしまいました。まずは、きっと一番似ている存在であろう母親について、書くとします。母親は、紹介の通り鬱病で糖尿病です。鬱病は私が物心ついた時からずっとだと思います。母親の母親(おばあちゃん)を早くに亡くしているし、姉の父親(私の父親の前の父親)も早くに亡くしているので、よほど辛かったんだと思います。正直どれほど辛かったのか、想像すら出来ません。しかし鬱になるのは頷けます。想像もしたくないですが、私も同じ人生を過ごしたら、間違いなく鬱病になると思います。ですがまだ子供だった頃の私は、鬱病の母が嫌いでした。いや、心の底では大好きなのですが、母は鬱病だと何も出来ないし、記憶も忘れっぽくなるので、楽しく話したり、甘えたりとかが出来ないのも不満でしたし、他の家庭とは違うという所が受け入れられず、やさぐれてそれが嫌いという感情になっていたのだと思います。好きだから嫌い、というような感情です。そんな母を見て、私は一つだけ幼いながらに誓ったことがあります。

「私は母親のようにはならないようにしよう。鬱病鬱病なんてもってのほか。精神力は誰にも負けないぞ。」

と強く、それはとても強く思っていたのです。反面教師だったのでしょうか。とにかく小さい頃から、悲しいことや怒りたい時があっても、精神力が強いと自分に言い聞かせては、感情の昂りを我慢し、荒波を凪にしてきました。家族はもちろん、友達にも悩みを相談したりするような事はありませんでした。全ての悩みは自分で考え、解決する。もしくは、忘れて無かったことにする。そうやっていけば、人生はうまく行くはずだと思ってたんですね。でも実際はそうそううまく行きません。えぇ、今になって分かるようになってきましたが、我慢というモノは、一生は出来ないシステムのようです。我慢というのは、ある一定のラインに達したら、それ以上は出来ません。そりゃそうだろと思うかもしれませんが、私は出来ると思って生きてきました。それで結局は気分の落ち込みが激しくなって、今はメンタルクリニックに行こうとしているわけですけども。そうです、結局、母のようになりたくないと思い続けても、気付けば母親にとても似てきてしまったのです。人に対して思った事を言えない所だったり、かと思えば突然失礼な事を言ってしまったり、うっかりしているし、忘れっぽいし、よく謝るし、結局最後は笑うだけになってしまったり。特に似たくないと思っていた精神病も、メンタルクリニックを予約してしまうくらい似てきているのですからね。まぁ、母の子なのだから、仕方ないのかもしれませんね。

 しかし先ほども書いたように、私は母親を尊敬しています。辛い事があってもたくましく生きて、私と姉を大人になるまで成長させてくれたからです。それに、放任と言われればそうでしたが、あまり厳しいルールなども家には存在せず、だからこそ若いうちからやりたい事をやりたいだけやらせてもらいました。朝早くから夜遅くまで、いつでも遊びに行けましたので、好きなだけ絵を描いたり、漫画を読んだり、ゲームをしたり。夜遊びや酒タバコも早くから覚えました。家が厳しい友達はこういう遊びはずっと我慢させられてましたから、そういった意味での我慢は、その友達よりは少なかったかもしれませんね。お陰様で、人より早く遊ぶというのを経験したので、大人になってから遊ぶというのは無くなりました。大人になってから遊んでいたら、行動力も資金力もあって、よほどタチが悪い遊びをしてしまっていたかもしれないので、その点は良かったなと思います。

 結局、これを今書いていて思うのは、どんな教育であれ、良いところも悪いところもあるという事ですね。しかも今私は、素敵なパートナーと10年近く一緒に居れて、同居しているのですから、やっぱりそういう意味じゃ、母の子育ては100点満点だったと言わざるを得ません。本当に感謝しています。いつか経済的に豊かになったら、何が恩返しをしたいです。

 母の話で長くなってしまいました。次回は父の話を書きたいと思います。

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