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すきなものの話

すきなものの話をします。

田舎の大学に通っていました。
県庁のある街から電車で40分、大学はそこからさらに自転車で30分。大きな駅から大学に続く大きな一本道を、毎朝たくさんの自転車が走っていきました。
私はその街がとてもすきでした。今日はその話をしたいと思います。

大学生の頃、私は大学まで自転車で15分のアパートに住んでいました。
大きなバイパスと、街で一番大きな道路の交差点のすぐ近くに私のアパートはありました。
私の部屋にはほとんど物がありませんでした。友達が誕生日にお金を出し合って買ってくれたこたつと、小さな白いテレビ、木製のベッド、姿見、くらいしか置いてありませんでした。クローゼットの中もすかすかでした。「物がなくて牢屋みたい」と、遊びに来た友達が言いました。
朝、日が昇ると、私の部屋には真っ白な光が差しました。私はそこで食パンを焼いて、目玉焼きとベーコンとじゃがいものポタージュを食べました。フルーツグラノーラに豆乳をかけて食べることもありました。真っ白な部屋の中で食べる朝ごはんはなによりもおいしかった。
いつか、課題で徹夜した明け方、ふと窓から空を見ると、黒みがかった朝の青空に刷毛で描いたようなピンク色の雲がぽつんと浮かんでいるのが見えました。窓の外に出ると、アパートの隣を走るバイパスから、車が走るときの何か燃えるようなにおいがしました。
あの頃の得意料理は、豆乳と味噌で味付けしたパスタと、かぼちゃの煮物でした。料理が苦手だった私は、あの部屋でいろんなことを覚えました。千切りを早くする方法、炊飯器を使わず鍋でご飯を炊く方法、レシピを見ないで料理するときのおいしい調味料の組み合わせ。寒い夕方、学校の帰り道に長い坂道を下って、スーパーで食材を買いました。暗い夕方の道に、スーパーのオレンジ色のあかりが灯っていることで、ほっとしたことを覚えています。かじかんだ手で作った自分のための晩御飯は、塩辛くても味が薄くても、おいしかった。

大学に行くときは、大きな坂道を自転車でのぼりました。節約して買った黄緑色のギアのない自転車。大学は皇居と同じくらい広くて、とても徒歩だけでは歩き回れませんでした。ほとんど全員が自転車か原付で学内を移動していたので、広い駐輪場はいつもぎゅうぎゅうでした。駐輪場でいつも目立っている自分の黄緑色の自転車を、私はとても気に入っていました。
坂道の両脇にはたくさんの木が生えていました。山を大きく切り開いて作った道でした。脇にはすぐ林があって、夜になると明かりがほとんどありませんでした。坂道の南側にある大きな公園には、春になるとたくさんの桜が咲きました。
春は坂道にやわらかい日差しが差しました。夏は林の木漏れ日が汗を冷やしてくれました。秋は一本だけ一番に赤くなるもみじの横を通って大学に向かいました。冬は暗くなった帰り道にぽつんと自転車のライトをつけて坂道を下って帰るのがすきでした。夜になれば星が見えました。冬になれば雪に覆われました。ある秋の日の夕方、ふと後ろを振り返るとオレンジ色の夕日が雨上がりの道を照らしていました。どの景色も全部すきでした。

大学の近くには大きなスーパーがありました。スーパーだけでなく、小さな飲食店や、本屋やゲームセンターも並ぶ大型の店でした。その1階のアイスクリーム屋で友達と何時間も話し込みました。2階の雑貨屋では友達が働いていて、買い物に行くと少し照れながら迎えてくれました。隣にはマクドナルドがあって、ポテトと、当時発売されたばかりのマックフィズを囲んで、友達とスペイン語の勉強をしました。
スーパーの隣にはカラオケがありました。初めて私が朝まで友達と遊んだのがそのカラオケでした。あの頃みんながすきだったBUMP OF CHICKENやRADWIMPS、当時はやり始めだったback numberやSEKAI NO OWARIのいろんな曲は、今でも頭にしみ込んだままです。夜通しコーンスープを飲みながら歌ったこと、途中でみんなが寝始めて起きてる数人でぽつりぽつりと話をしたこと、たまたま隣の部屋にいた同級生とみんなで応援ソングを歌ったこと、外に出た瞬間に目に飛び込んできた新品の朝のこと、今でもその場にいるかのように思い出せます。
カラオケの隣にはチェーンの飲み屋がありました。ビールや焼き鳥のにおいは、お酒が飲めるようになったばかりの私にはとても魅惑的でした。3,000円の食べ放題・飲み放題の安いプランで、何時間でも話ができました。友達が頼んだ安い焼酎を、消毒液みたいだねと顔をしかめながら飲んだことや、みんな現金しかもっていないから大人数の飲み会の会計でたくさんの千円札が出てしまって数えるのが大変だったこと、それから、やっぱり飲み会が終わった後の外の景色がとてつもなくきれいだったことが、今でもすきですきでたまらない。

私は、今も昔も、いろんなことを真正面から受け止めてしまいます。
あの頃の私は、目や耳から入ってくる美しいものを、すべて自分の中に取り込んで、どんどん豊かになっていきました。緑の広がる街並みや、星の中を自転車で走ることや、肺に入る冷たい空気とマフラーの中の自分の体温。両手で肉まんを包むようにして帰ったこと。小さな花火大会の後、下駄の鼻緒で足を怪我して裸足で帰ったこと。陽炎の出る夏も、雪国みたいな冬もだいすきでした。友達の家で鍋をすることになったのに、みんな料理が得意じゃなくて具材がずたずたになって大笑いしたこと、彼氏と別れたくなかったと泣く友達につられてみんなが泣いてしまったこと。映画館のキャラメルポップコーンのにおいと、照明が落とされて映画が始まる瞬間のこと。英語の授業を受けているとき、ふと窓の外に目をやると、夕方の学内を学生がいろんな方向に歩いていくのが見えたこと。授業で取り組んだ実験が難しくて、みんなで途方に暮れたこと。大学においてあった化石の標本や、研究室に落ちていた教授の若いころの写真や、一人でお弁当を食べていると友達が遊びに来てくれたことや、当時すきだった人が私の誕生日にチョコレートの入ったコンビニ袋をそっと研究室のドアにかけてくれていたこと、そのすきな人と結ばれなくて別の人と結婚したころに、そのすきな人からもらった卒業旅行のお土産のハンカチを無くしたこと。
全部が私の形を作ってくれました。私のいたるところに、あの頃の景色がありました。

大学を卒業して、社会に出て、結婚しました。4回引っ越しをして、今はあの街からとてもとても遠い都会で暮らしています。
あの頃のことはいつだって私のそばにあって、寂しくなったら引き出しを開けて、眺めてはまた仕舞って、そうやって何年かを過ごしてきました。
先日、大学の近くで用事がありました。久しぶりにあの街に一人で遊びにいきました。
街は少しだけ変わっていました。大きな道路が広く舗装されていました。信用金庫の建物は写真館に変わっていました。
歩いていると、記憶違いもたくさんあったことに気が付きました。建物の位置関係や、駅からの所要時間を、大きく勘違いして覚えていました。
それから、夜の街がどれほど暗いか、私は忘れていました。自転車を借りて、あのころ通っていた道を、数時間かけて回りました。真っ暗な夜道では自転車の明かりがまったく頼りになりませんでした。自分が時々どこにいるのかわからなくなりそうでした。
あの頃は見えていたと思っていた星は、雲一つない夜空のどこにも見えませんでした。夏の暑い空気は、都会の空気とさほど変わりませんでした。
一晩ホテルに泊まって、翌朝大学に向かいました。あの頃と何も変わっていませんでした。心の中に置いていた景色が目の前に現れても、ああ懐かしい、とは思えませんでした。いつでも目をつぶれば目の前に見えていた景色が、ただ現実として目の前に現れただけでした。それは私をおかしくさせそうでした。私は今一体どこにいるのか、わからなくなりそうでした。記憶の中を自由に歩いているように錯覚してしまいそうでした。それはきっと、私が長い間、あの街のことを恋しく思って、何度も何度も帰ることを望んでいた結果なのだと思いました。自分が実際にこの街にいることを認めてしまったら、次いつこの街に戻ってこられるかわからないという、その事実も認めなければならなくなると思いました。だから私は、この街にひとりでぽつりと立っていることを、空想の中の出来事だと思いたかったのかもしれません。
目を覚ましたら、隣に夫が寝ているかもしれないと思いました。目覚ましが鳴って、会社にいかなくちゃと目を覚ますかもしれないと思いました。でも、目は覚めませんでした。私は本当に現実にあの街にいました。それは私に大きな喪失感を連れてきました。

あの街から帰ってきて、私は少し調子をおかしくしました。
仕事中でも通勤中でも、あの街のことが頭から離れなくなりました。
社会に出てから、海辺の街に住んだことがありました。その頃に見た景色も、思い出も、私の大切な宝物でした。でも、大学生の頃に住んでいた街はその何倍もきらきらと輝いていました。私の中で、海辺の街での思い出がかすんでいくのを感じました。
私には確かにすきなものがありました。バンドの東京事変とアカシックがだいすきでした。漫画のたそがれたかこ、映画化もされた小説のきみはいい子と、きいろいゾウ。今住んでいる街のことも、ゆっくり時間をとって作る朝ごはんのことも、だいすきなはずでした。でもそれらは、あの街の景色には到底かないませんでした。私はあの街に、心を置いてきてしまいました。

もうすきなものは作りたくないと思いました。あの街にもう帰れないのだと思った時の喪失感は、何度も味わってしまうと体がぼろぼろになりそうな強いものでした。

でも、あの街は確かに私を作ってくれました。
午後6時の空に見たか細い三日月のこと、冬に一つだけ咲いてしまう桜があること、図書館の窓から見る夕暮れ、それらを思い出すときの私は、きっと笑っていました。
すきなものを失うことは、笑うことを失うことだと思いました。もう戻れない、一番愛した街のことを思い出すことはとてもつらいけれど、それらすべてをなかったことにするのは、私の心のよりどころを丸ごと取り去ってしまうことなのだと思いました。
すきなものが増えることは、これからの私にとっては怖いことです。だから、すきなものを失わないように、すべてのすきなもののことを大事にしようと思います。そして、いつか失っても大丈夫なように、すきなものが近くにある時に、精一杯すきだと感じて、目に焼き付けようと思います。それがきっと、あの街のように、私のこれからを作ってくれるのだと思います。

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