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牧野邦夫―写実の精髄―展

自画像(1955年)/ 牧野邦夫

私の大叔父は画家でした。牧野邦夫、と言います。
邦おじちゃんは、私が小さい頃に亡くなってしまったので、たった一度、会ったきりでした。
ただ、週に一回遊びにいっていた目黒にある祖父の家に、邦おじちゃんの絵がたくさん飾ってあったので、ずっとそばにいるような不思議な感覚が常にありました。

そんな彼の展覧会が、2013年に練馬区美術館で開催されていました。
その時の簡単なダイアリーをここに残しておきたいと思います。

「写実」と「幻想」が共存する彼の作品の数々は、その字の通り、とてもリアルなのに非現実的。それはまるで眠っているときにみる夢のようで、説明のつかない矛盾した空間。
ひとつの額縁の中に、複数の世界が存在しており、その中でも「人」を描いているものがほとんどで、特に彫刻のような立体感を持ち合わせた「手」が非常に印象的です。
「人」が持つエネルギーが現実の世界以上に表現されており、ぐいっと一気に飲み込まれてしまって、見終わった後の外の景色が少し疑わしいほどでした。

実際に目に映るこの世界だけがすべてではないということ、そして、ある一方でイマジネーションが不足した現代社会を風刺しているようにも見えました。

小田原、茅ヶ崎、アムステルダム、京都、三鷹と住まいを変えながら、一日12時間以上、毎日絵を描き続けた彼の作品たち。
特に、レンブラント、ゴッホ、芥川龍之介、太宰治、が好きな方はきっと気に入っていただけるはず。

イヤリング(1973年)/ 牧野邦夫

レセプションに行った際、彼の作品コレクターでもある石坂浩二さんがいらしていたり、「日本経済新聞」や「美の巨人たち」などでも取り上げられていたりしていましたが、彼の奥様である千穂さんは、もっと若い人たちに見てほしい、とおっしゃっていました。
私もまったく同じ気持ちです。
絵画に詳しそうな玄人の方や、絵の勉強をしている学生さんが多く集まっていた会場でしたが、私のように絵に対して無知であっても、十分に感じることのできる展示でした。


現実と、夢とのあいだ。
言動と、想いとの距離。
触れられるものと、触れられないものとの隙間。

決して手に掴むことのできない世界を、自由に描くことができる芸術の可能性にますます魅了されていきます。
と同時に「写実」さえも現実から切り離されたものであることに直面します。
自分の瞳で自分を見ることができないまま、いつまでも自分自身の存在を確信することができずにいる、その、ストン、と落っこちた意識だけを残して。


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