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だから僕は大学を辞めた。

セプテンバー調子はどうだい/ちゃんと学校行ってるかい/私はね、ぶっちゃけ学校とかクソ喰らえだと思ってたよ/明日学校へ行きたくないと思った君へ /大丈夫、大人は、、、た!の!し!い!ぞ!

って永遠頭の中でリピートするね。

最近すごくすごくたくさん、学校辞めたいんだけどどうしよう?とかどうやって就職したの?とか大学辞めて大丈夫かな?とか相談してもらえることが多いのでなぁんとなく文章に残してみようかなと。未来の自分のためにも。

卒論書けなくて大学辞めた人間に果たしてちゃんとした文章がかけるのか怪しいところではあるけれど、学校クソ喰らえって思ってる人も思ってない人も、思ってた人もお付き合いいただけるとありがたやー!

高校⇒大学入学までの私

2014春、めでたく京都の高校を卒業しまして。副教科の成績のよさだけで入った偏差値の高くない高校の中で、たいして勉強しない割には頭悪いほうじゃなくて、根拠の無い自信で国立大ひとつしか受けなかった私、見事受験に失敗しましてそのまま名門()駿台予備校京都校に入校。親への迷惑極まりない。

特にストレスなく予備校生活を終え、一番の天敵数学を克服することなくセンター数学20点を記録しこれはおわた。一人暮らしの夢散った。大人しく関西の私大に行こう。と覚悟を決めてたら予備校の担任に、国立でも数学いらないところ行けば?信州大学の人文学部とか。と勧められるまま心理学~?おもしろそ~!のノリで受けたら下から数えた方が早い成績で滑り込み合格。晴れて国立大学生になりました。あったまいい〜~

大学1~2年

人付き合いには困ったことがなかったので難なく友達もできてまぁ朝は起きれんけどもチョロチョロこぼす程度の単位の落とし方でテスト対策は一夜漬けアルバイトの数が増えるオタ活に勤しむアカペラのイベント遠征に手を出し始める。この辺から勉学に対するモチベーションは受験期を100とすると40くらいに落ち込む。まぁ大丈夫やろ。と謎の自信。2年進級時、数学から逃げて入った学部で何故か数学っぽい思考を必要とする分野を選んでしまう。振り返ればこれくらいから全然大丈夫じゃなかった。

大学3年

みんなが就活考え出す時期、やりたいことが明確に決まりすぎててなぜだかわからない根拠の無い自信に満ち溢れて何もしない。勉強に対するモチベが10を切り出す。できない、分からない、だからやらない、すると余計に出来なくなる。学問するための大学に非常に向いてないことに気づき出す。分野の友達に頼る頼る頼りすぎて絶対迷惑やなと思いながら頼る。担当教員は放任。副担当教員にはボロクソに精神を削られる(自業自得)。アカペラも思うよう人生で初めて人間関係に翳りが出る。1番仲がいいと思ってた友達が信じられなくなる。ひとつ悪いことが起こるとそこからガタガタ色んなものが崩れてしまって、バイトに遠征にオタ活に逃げまくった。プレ卒論が書けない。でもあの人でも卒業できたんだからなんとなく来年頑張れば行けるんじゃない?という謎の思考。


大学4年

さて、プレ卒論も書けないまま周りがヒーヒー言いながらも着実に就活、卒論を勧めていく中何もしない。なぜ何もしないと言われても出来ないものはできない。第1志望のエントリーシート提出期限を見間違い就活へのモチベも2くらいになる※この時の勉強モチベは0.3。学生の本分から逃げて楽しいことだけ考え出す。そうだインカレバンド組もう。そうだアカペラのライブを主催しよう。いつか考えてたことをどんどん実現させていく。楽しいこと考えて企画ねってる時はほんとに楽しくて友達と会ってる時も楽しくて全然楽しいのに、1人になってさぁプレ卒論進めようとパソコン開いた途端に自己嫌悪と頭痛と吐き気と腹痛と謎の涙と体調不良のフルコース。言い訳の種を作る都合のいい身体である。先生のメールを放置しまくる。大学に行かなくなる。朝起きて。あぁ今日も無駄に生きてしまったな。全然死にたいとかじゃなくて。自分が生きてるのがもったいない気がしてくる。だけど死ぬのもめんどくさい。実に厨二病くさい。誰か翼をください。韻が踏める。自己嫌悪してる自分が可哀想で可愛かった。大学を辞めよう、と思い母親に電話。猛反対される。当たり前である。さんざん投資して来たのにそんな簡単に辞めていいよとはならん。間違いない。実家に帰って大号泣の話し合いの末、担当教員の勧めてくれた通り、取り敢えず半年休学することに。新しく朝のバイトをはじめる。嘘みたいに眠れる。嘘みたいに頭痛がしない。嘘みたいに謎の涙が出ない。これが解放されるってことか。所詮は逃げである。主催ライブで7万の赤字を出した。たのしかったからなんでも良かった。朝晩4つのバイトをかけ持ちしながらたまに思い出したようにパソコンを開く。あんなに吐き気がした画面とも少しだけ仲良くなれたような気がした。睡眠時間毎日3時間でも全然平気だった。今考えると恐ろしい。謎に全てが上手くいくような気がした。

大学4.5年生

半年は瞬きしてる間に過ぎた。人よりも瞬きが得意なので他人よりも多分早く過ぎた。アホみたいに働いたのに自分の学費以外特に手元に残ってない。0.001歩くらい進んだプレ卒論と、とち狂った睡眠時間と、とち狂った遠近感覚と共に4月。1個下の代、2歳年下の子達と同じゼミを受ける。去年出せなかった第一志望のエントリーシートをだす。なんとなく行ける気がした。昨年と同じ卒論題目を提出、なんとなく大丈夫な気がした。今年も主催ライブしたいなと思い始める。4月3回目の卒論ゼミ。何かがおかしい。いや何もおかしくない、とまってたところからスタートしただけだった。何もわからない。人の卒論を貰っても理解ができない。自分のプレ卒論の内容がさっぱり分からない。どう言う質問項目を作ってどういう調査でどういう調査検定にかければ私が知りたいことにたどり着けるのかさっぱり分からない。そもそも知りたいのかすらあやしい。いやあやしくない、まっっったく興味が持てなくなった。5月後半、ゼミに行かなくなる。就活は履歴書で落とされてる。講義は謎に他分野の一つだけ普通に出る。※後の伝説GPA0   あぁこれこの感じ2回目だ。2回目ともなってくると自己嫌悪も玄人みが増してくる。バイト先でニコニコしてたら君は悩みがなさそうでいいねぇと言われる。そうなんですよ~なんていいながらバーニャカウダのフォークで、アイスピックで、ぶっ刺してやろうかと思った。だいたい半年前の上位互換というか下位互換というかの症状が出だす。仲のいい友達が眩しい。どうして自分だけこんなにポンコツなのか。大学向いてないな。やめよう。辞めれなかったら死んじゃえばいいや。このへんが厨二病思考のピーク。辞めたいと親に言い出せないままライブの準備とバイトに明け暮れる。松本に映画が来るらしい。友達の知り合いがエキストラを募集してる。もうだめだ。親に頼み込んで大学を辞めたいと言う。働いて通信で大卒資格を取るからと頼みこむ。正直大卒資格を取る気もなくただただ自分が無能だと思い知らされる場所から逃げたかった。

2019.8

エキストラに応募する。見事あたる。その流れでボランティアスタッフになる。ここからはとんとん拍子に物事が進む。俳優さんのいない日にボランティアに入ると、制作側のちょっと偉い人とお話しする機会があって、大学辞めるんですよ~仕事欲しいです~!じゃぁほんとに欲しかったら連絡して!紹介するよ!の流れで10月から2ヶ月間ドラマに携わる仕事を貰い、そこで出会った先輩にほんとにやりたい仕事の話をした所、友達おるで?紹介する?のノリで3人で飲みに行き、ちょうど知り合いのところが新しい人探してる期間だから応募してみれば?考えときます、、で、12月にドラマのお仕事が終わって取り敢えずweb履歴書書いてみなって言われるままに書いて送ったら、それ先方に出しといたから!からの先方から面談はいつにするかの連絡があってこの日にって指定した日に重役4人の面接を受け次の日に仕事が決まるという流れ。何だこの突然の運気は。昔から人運だけはいいんだよな。みんなありがとな。そんなこんなで、2020年現在に至るんわけだけど、結果的に遠回りなのか近道なのかわからないけれど私は思わぬ形で1番なりたい職業につけることになりました。ありがたや。振り返ると色んな逃げに逃げ続けてきた24年なんだけど、1つ変わらないことは、好きなことに関してはチャンスの前髪を逃さず掴んできたこと。だと思うのね。半年空けて同じ轍を踏んだ1年、無駄だったといえば無駄だったんだけど、結果論としてこの1年がなかったら松本の映画でボランティアスタッフすることも今の仕事に関する人達に出会うこともなかったと思えば無駄じゃなくてラッキーだったなって。世の中には無駄なことはないってことばがあまりすきじゃなくて。世の中無駄なことしかないんですよ。どれだけ無駄を謳歌できるかじゃないんですかね。

だから僕は大学をやめた。

24歳風情が何言ってんだって感じではあるけれど、私が24年しか生きてない中で言ってることなので悪しからず。人間向き不向きがあるなって。ほんとに辞めたいなら辞めればいいんじゃないですかね。例えば、どうしてもやりたいことに大卒資格がいるとかなら今が踏ん張りどき、なのかもしれない。だけどそれこそ大卒資格なんてどこでも取れるし本気なら、できないことは無いと思う。大学は私にとって、学問をする場所ではなかった。友達を作る場所であり、一人暮らしを謳歌する場所であり、親から逃げる場所であり、アカペラ生活の基盤だった。贅沢な話ではある。私がラッキーだったのは、やりたいことがハッキリしすぎてたこと。私の進みたい先が別に大卒資格もTOEICの点数も要らなくて、コネとツテと車の免許とコミュ力さえあれば飛び込める世界だったってこと。また逃げたと言えばそだし、どこいったって同じことするぞって思われるかもしれない。ポンコツで死ぬほど使えない人間でも適材適所ってことでどこかで必要としてもらえる日が来るのかしれない、し、もしかしたら来ないかもしれない。だけどもやりたいことを精一杯無駄を謳歌するために、わたしは大学をやめた。後悔はいつかするのかもしれないけれど今現在あんなに凹んだ時期も込で人生で順調です。

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