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甜謝記でピータンと4年ぶりの愛の再会を果たした話

横浜 ——元町・中華街。
腹を空かせたインフル上がりの女子(25歳彼氏いない歴4年)が降り立った。そう、私のことだった。

標的は、甜謝記 貮号店。(読み方がわからなくてフリガナを必死で探したのは秘密である。ハッ、はぜ貴君にこの秘密がわかるのだ。さては超能力を(以下略))

まぁ、超能力は使えなくても腸能力を使える私は本能のままに食べログ先生の「★3.74」を信じ歩みを進めるのである。

ひとまずA3出口を出ると左手に飛び込むは中華街・東門。ゲオを通り過ぎ三角州をいい感じに抜けると——えっ、暗い! なに、中華街って一本道それるだけでこんなに暗いの?(時刻は約18時)
頭上に揺れる提灯が幻想的であり、一本道をそれてもまだここが「中華街」なのだと教えてくれている。私は提灯にいざなわれるように向かう。最中、ずっと気になっていた疑問が爆発する。

なぜ、甜謝記は壱号店ではなく貮号店が食べログで「★3.74」なのだろうか。
別に壱号店があるならばそっちに入りたいのだが。むしろそっちの方が元祖でおいしいのではなかろうか。私の問いに答えるように、道なりに進んで先に見えてきたのは「甜謝記 (無印。何号店表示なし)」。

キタ!なんだか女一人でよろよろと歩く裏道ではなかろうし、もうここへ入ってしまおう。

でもなんだか外灯が落とされ店内に活気、どころか人影はゼロで、閉店した土産店を連想させる店構えだが、大丈夫なのだろうか。
結論から言う。ここはイートインをやっていない、甜謝記の土産店である。ニトリも「お?」と言いそうなお値段と思われる簡易テーブルとイスのワンペアがそれを裏付けているではないか。なぜ私は定員さんへ聞いたのだ。

「あれ、おかゆのイートインって……」
私の背後、斜め45度を指す定員さん。振り返り目に飛び込む「甜謝記 貮号店」の文字。恥ずかしいッ。やっぱりGoogle先生に逆らってはいけないのである。
「あー、どうも間違えちゃってすみません」
私は頭をかきながら、甜謝記 貮号店に入店するのだった。

ほぼ満員。(平日木曜の約18時)さすが食べログ★3.74!と、私の薄い胸は期待に膨らんだ。(当社比)
さて、と空席を視線で一緒に探す定員さんと私。

「こちら——、やっぱり奥へどうぞ」

定員さんが言いなおす。なッ、なぜ。手に汗を握る私。そう、手前の2人掛けではなく、奥まった8人掛けの丸テーブルに1人通される作者の気持ちを、誰がわかるであろうか。否、そんな空虚は誰もわからなくていいのである。

通り過ぎる際に視界へ入る2人掛け。そこには前任者が食べたと思わしき空のお皿。ああ、無常。……8人掛けに通されて所在なく縮こまる私。脳がバグってコートを脱ぐより先にメニューを見始めた。食いしん坊かッ。脳内でツッコミを入れて8人席のむなしさを味わうのはもはや定石である。

遅ればせながらコートを脱いだ私へ、定員さんに運ばれてくる小皿が2つ。
右はザーサイで、左は白髪ねぎが薄茶色に染められもはや白髪ではなくなりかけているねぎの上に、レンゲが乗っている小皿である。

——!!?

伝う額の汗。開かれる瞳と口。握る拳。

私、この店で何かを試されているのか!?

私の人生25年間で、中華店に入り「お通し」が出てきたことがまず初めてであり、お通しがザーサイなことが次に初めてであり、レンゲの下にネギが敷かれている事も初めてであり、白髪ねぎが最初から茶髪に染められるという己を見失う行為も初めてである。

答えろッ、元・白髪ねぎ。——貴様に一体何が起こったと言いうのだ。(何も起こっていない。次に来た2人組へも同じ運命の白髪、改め茶髪ねぎがレンゲの尻に敷かれて運ばれてきた。甜謝記のスタンダードなレンゲの支給方法のようだ

動揺する私は「ピータンがゆの中椀(760円)と小籠包(700円)」と、注文を済ませザーサイを口へ運ぶ。か、辛い。それも、やや、辛い。こんな絶妙な辛さでは箸が止まらないではないかムシャムシャ。

人は順応する生き物であり、私はそれを体感しながら感謝していた。

もう茶髪ねぎがレンゲに虐げられている様は日常へと消化されたので、私はザーサイを味わえるのだ。ふははは、人類の適応力の勝利である。

しかし上記のようなザーサイを食べ続けた者の末路を読者はきっとわかるだろう。

そう、のどが渇くのだ。

繰り返す。ここは中華街である。ファミレスでも喫茶店でもバーミヤンでもなく、中華街の中華店である。
それが意味するところはどういうことか。

水は運ばれてこないのである。おろか、飲み物について一切の説明がないのである。

机上にあるは、「私を飲んで♡」と言わんばかりの茶色い液体が入ったピッチャー。と、妙に小さい、100mlくらいしか一回に注げないグラス。

えー、どう考えてもこれはセルフでどうぞってことだよね。でも説明なかったし、最初の一杯も注がれてないし、グラスの置いてある位置は絶妙に私から遠いし、しかも2個重ねられてるし、中華街だし注いだ瞬間に「はい500円」とかならないかなぁ……。

つまるところ、作者はビビリだった。
臆病者とか用心深いとかでもなく、一昔前のビビリという言葉が似あう25歳もうすぐアラサーなのであった。泣く。

「あっビシャ」

そして作者は不器用だった。ピッチャーから注ごうとしてものの見事に氷とお茶を涙の代わりに机上へ落とした。おしぼりが分厚くて助かった。何食わぬ顔でふいた。定員さんは近くに3名もいるも、中国語でのおしゃべりに花を咲かせていてこちらへ興味なし。うん、救いである。

お茶を口に含む。無事追加料金が取られることはなかった。中華街と言えども日本であり、今日も日本は平和であった。
何茶か意識しないレベルの濃さがほどよく、ザーサイの辛みが口内から一掃され、またザーサイをコリコリしたくなる。これはスパイラルである。私はハマっていた。

「こちらへどうぞ」

相席であった。人生初である。口内はコリコリである。緊張でカチコチである。

とりあえず左隣に来た二人組へ目配せで会釈するも、伝わったかどうか相手を見る余裕はない。だが、だんだんとおかゆが運ばれてくるまでが退屈で、二人組を横目で観察し始める私。

私の真左に座るは、おじいさん、いえ、おじいちゃんだった。御年90歳とかでも私は驚かない。ガリガリにやせ細り、ツタンカーメンの中から出てきてもおかしくない血相である。失礼である。
連れの女性は40代くらいの中国人と思しき女性である。一体どこで出会ったどういう関係なのだろうか。というかやはり90歳になっても、女性への下心というのは止まないものなんだな、と、妙に腑に落ちながら私はおかゆを待つ。

長方形のカバンから何かを出すおじいちゃん。こ、黄金色の液体……?

これは私の語彙力不足とかでは決してない。そう、私はそんな液体もその容器すらも、初見なのである。しかし間違いなくそれは机上に置かれ、30ルクスとおぼしき間接照明を浴びて輝く。透明である。
携帯用のどこで入手するかわからない300mlくらい入るプラスチック製の透明な小瓶に入った黄金色に輝くそれを一気飲みするおじいちゃん。

な、なんか飲んでるーー!?

全力で見たがまま叫んだ(内心)。

今となってもその正体は分からない。いや、調べようという気すらないので、永久に真相は闇の中である。それがいいと思う。

かくしておかゆはまだ来ないが、私の右隣にも相席のご夫婦がいらっしゃった。こちらは両方とも日本人で50代である。もはや定番となった人物観察に勤しむ私。

理系らしきご主人はクセのある顔を持ちほどほどにふくよかで、文系らしきご婦人はきっと若いころ可愛かったのだろうと容易に想像できた。声と話し方がちょうどよく可愛かった。私もこんな風に歳を重ねたいものである。

老年の夫婦の会話はなんだか安心する。お互いわかり切っているのだ。それは飽きや諦めとは別次元であり、背中を預け合える戦友という表現がちょうどいい。私は謎茶の入ったグラスを傾けた。カランと氷が応える。

いまいち安心できない関係の左隣に内心で疲れ切っていた私は、右隣のご夫婦を心のよりどころとしておかゆを待った。

そうしておかゆはまだ来ないが、私の対面には30代とおぼしき女子二人組がご来店された。
私は聖徳太子もかくやと三方向からの音声を拾おうと試みた。結果、拾えてなかった。各パーソナルデータは個人情報保護の元、私の耳を右へ左へ正面から背後へと抜け出ていった。

私1人きりだった8人掛けは7人満席と大団円である。

なんだかもはやことは達成したかのように思えてくる。それもそのはずだ。私はwordでもう丸4ページ書いている。しかし未だ食レポはザーサイと謎茶に関してのみである。ここで引き下がるわけにはいくまい。

「どうぞ」

き、キターーー!
この瞬間である。ほくほくと湯気が立ち上る白がゆが私の眼前に置かれる。白、が、ゆ? そうword換算2ページ前を思い出していただきたい。私が頼んだのは「ピータンがゆ」である。崩れ落ちる私。いや、もうここまで待ったんだから白かゆでもなんでも美味しいに決まっている。で、でもピータン……!と、私の哀願を察してか否か定員さんは続ける。

「具材は中に入ってますので」

脳内でエコーがかかった。ああ、きっと何度も「具材は?」「中に入っていますので」と、やりとりを重ねたのだろう。もうその音声は洗練されすぎて完璧な日本語のイントネーションであった。もはやNPCばりに洗練されていた。
※NPCはノンプレイヤーキャラクターの略。ゲームで話しかけるたびに「魔女は北の洞窟へ行った」としゃべるキャラクターのことである。

茶髪ねぎを尻に敷くこと15分、レンゲはここにきてようやく勤めを果たす。

「いただきまーす」

ほかほかの湯気を立ちのべるトロりとしたおかゆがレンゲに掬われ、私の口腔を支配する。

おい、しい~~~。

満面の笑みである。
丁寧に時間をかけ、焦がさないように弱火で煮こまれたお米はおかゆへ進化している。かきまわす回数が最小限なのか、ムダな粘りがなくサラリとした口当たりだ。
貝柱からも存在を確認できるホタテのうまみで上質なダシが効いており、恐らく鳥も使っているものの動物臭さは一切ない——。
シンプルながら上質で過不足のない一椀に、私は脳髄を射抜かれる。もう、これはおかゆへの愛——。いや、おかゆとの愛——!

脳内で愛に反応してクララとハイジとピータン、違ったペーターが輪になって踊っている。

そして発掘する楽しさ。白がゆへ内包されたチャーシューとピータンを箸で探し出し一緒にいただくおいしさ。
チャーシューもホロホロに仕込まれ、口へ入れた瞬間にたんぱく質へと瓦解する。これならきっと左隣のおじいちゃんも食べられる、と私は核心を持つ。(しかし彼が注文したのはカキがゆでありその心配は無用だった)

そして、念願のペーター、違ったピータンである……!

バーミヤンでピータンが食べられなかったショックを引きずり早一年。私はピータン食べたさに今日まで生きてきたと言っても過言である。(この一年、様々なことがあった。風俗嬢とかうつ病とかインフルとかetc)

それが報われた一口。
ピータンのねっとりまったりとした黄身と、煮凝りのような色合いとゼラチン質へ変化した白身。(ちなみに煮凝りを食べたことはまだない)

ああ、ピータン。まごうなき、ピータン。(そして始まる愛の小劇場)

黄身(キミ)に出会うために、僕は頑張ってきたんだ。
——小さいころ、家族四人で伺ったバーミヤンのピータンがキミとの出会いだったね。
キミに出会いたいがために、上司と行った中華料理店でもピータンを注文してその見た目のインパクトから他の誰もが箸を付けないものだから、キミと僕、二人きりの蜜月を過ごしたね。
去年の誕生日、仕事終わりに自分へのご褒美としてキミに出会おうとバーミヤンへ入ったら、まさかの退役だったね。あれはキミの下にトマトの輪切りが敷かれて以来の衝撃だったなぁ。
そして今日、ここに運命の再会を果たす。僕は約束する。必ずキミにまた会いに来ると——。
(小劇場・完)

しかし愛というのは儚いものである。

「ズズズ」

黒い影が迫る——悪の化身が今現れる——。

「ずずず」

違った、そんな効果音ではない。これは、これがうわさに聞く——。
「ゴクリ」私は味わいつくしたピータンをようやく飲み込んだ。

ずずずハラスメントである。

そう、左隣のおじいちゃんにもカキがゆが到着し、こともあろうか彼はそれを啜っているのである。

おかゆは啜るものではないーーー!!

私は全力で叫んだ。(2回目)
ああ、無常。(これも2回目)内心の叫びなど誰にも通じない。私は彼の連れである中国人女性に期待するも望みは最初から薄いと思われた。

無関心。

そう、愛の対義語は憎しみではなく無関心である。中国人女性は彼へ完全なる無関心を貫いていた。自分の隣で「ずずず」とハラスメントを発生させようがそれは他人の出来事であり、自分には関係ないと言わんばかりの堂々とした態度であった。
この食卓で誰よりもずずずハラスメントを被っていたのは、彼の右隣に位置する私であった。右利きの彼からのずずず音は心なしか、いや完全に心なしであるが、右側の私に良く聞こえやすいと思われた。(当社比)

かくして私は。

おい「ずずず」しい~。おいし「ずずず」い~。わぁピ「ずずず」ータンだ幸「ずずず」せ~。チャーシューも「ずずず」ホロホ「ずずず」ロだなぁ~「ずずず」。

と、内心の没入感にいまいち欠け、どんぶりとの愛は悪の化身「ずずず」に阻まれるのである。

私は正直ずずずハラスメントを甘く見ていた。

いや、そばとかラーメン店での話でしょ? それはもはや音を立てるほうが粋で正解って説もあるくらいだし、そんな細かいこと気にするほどみんな暇じゃなくない? と。

——自分を殴りたい。ずずずハラスメントは存在するし、それは私とピータンとの愛の再会(4年ぶり。彼氏よりも久しい)を阻む憎むべき存在だった。そして愛の類義語が憎しみであるならば、私はあの食卓で誰よりもずずず老人へ愛を発揮していた人間である。その事実に追加で打ちのめされた。

そうして私は一抹の虚しさを胸に、甜謝記を後にするのだった。

私は誓う——。

次は、平日の16時頃に伺おう。(意訳:相席を回避したい)

~完~
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます!
甜謝記さんは間違いなく今までで一番おいしいおかゆ屋さんなので、近いうちにまた食べに行く予定です。今もよだれをこらえながら夜を越えており、今の時間に食べにいけないうっぷんをこう文字にしていると言っても過言ではありません。

お互い、いい夢が見られますように。おやすみなさいませ。

金額ではなく、お気持ちと行動に涙です! 現在無職なので、サポートはお米の購入に充てさせていただきます。これで生きてゆけます。