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#12 馬のモツ、私の骸骨

 御殿場で買ってきた馬モツがおいしい。どうせならもっと買えばよかったのに、モツを調理したことがないから自信がなかったのか、100g100円もしない馬モツを、たった200gしか買わずに帰ってきてしまった。馬刺しと馬油はしっかり買った。お肉屋さんの棚にボローニャソーセージとかベーコンとかと並んで馬油があったので、もしかしたら馬油って食べものだったのかしらと思ってお店の人にたずねると、「火傷とか、乾燥してるとことかに塗っていただいて……」というのでやっぱり馬油は馬油だった。ちょうどこの間台湾のドラッグストアで、足の悪いアイーのおつかいでヒアルロン酸入りの馬油を買ったところ。ヒアルロン酸は入ってないけど、馬油100%のとれたての馬油だよ、そこのお店で馬を解体してるんだから、と言えばきっと喜ぶから、おばや母たちのお土産に1瓶買った。自分用のお土産には石川商店のベーコンがあったのでそれも。勝呂さんとまやちゃんが教えてくれたここの精肉店に、1年越しでやっと来れた。上馬刺し。Y字路の三角のところにあるお店に、GWなのもあってか続々と人が入ってくる。特上馬刺しはすでに売り切れ。

 すぐに御殿場を出なくてはならなかったけど、車の窓からエピ、森の腰のバス停、リトルスライヤ、その隣のジョイフル、ロッキーイワタ、スナヤマが見える。1週間しかいなかったのに、少しでも生活したからか、店々がとても懐かしい。

御殿場のとらや。森岡さんにおすすめしてもらって、1年越しでようやく来れた。
お土産に最中とどら焼きを買って、300円で緑茶をじゃぶじゃぶと飲み放題。おいしい。やっぱりここはお茶の国。

 
 5月の日本というのがこんなに気持ちいいものだというのを忘れていた。窓の外に見える、全ての屋根の下の、通りすぎる車の中の、走っていく自転車の、なかなか通りすぎない歩行器の、私たち全ての、人生、生きものすべて、祝福されているとしか思えない。本当に気持ちいい。すばらしいお天気。今日は晴れてるからもしかして、と思ってベランダの外を見ると、大家さんの畑の横にパラソルが立っていて、ということは今日は畑の野菜が売られている。すぐに家を出て、ビーサンの素足の甲とくるぶしの横に、朝の空気が触れる。マンションの前に出て、太陽の熱と光が私全体にあたる。空は青いし、風が心地よく吹いている。「何ひとつ文句のつけようがない」と口に出して言ってみたくなる。御殿場の住宅街のあたりは今日どんな感じだろう。歩けばいきなり大きな富士山が見えるあのあたり。うすーい砂糖水みたいなツツジの透明な香りが漂ってくる。マンションのツツジはもうしおれて地面に落ちて、茶色く汚くなりかかっている。大家さんの桜の木の緑の葉っぱが、風でさわさわと揺れて動く。外の道に出て、ツツジが見えないけど香りがしている。ここから見えない誰かの庭にもツツジが咲いているのか。別に今年が特別というわけでもなく、毎年毎年こうやって5月はいつも気持ちよかったはずなのに、すっかり忘れていた。はじめてのことのように感動する。こんなに気持ちいいというのに、天気の気持ちよさというのを、私は一晩寝ただけで、ちょっと曇ったり、ちょっと雨が降っただけで、すぐ忘れる。空が晴れるたびに感動する。

 税務署の帰り、藤沢マーケットに寄って、牛の大腸とギアラを150gずつ買い足した。納豆が3パック58円で安いからそれもついでに買った。魚屋さんの方から「ホタルイカ誰か買って」とおじさんの声がして、100円引きになったホタルイカのパックを持った女の人が私の前を通る。すごく欲しいけど、今日の私はモツを煮込むのであきらめる。名店ビルの出口のところで、牛すじ1キロが半額になっていて、その下の棚に鳥のセセリがある。そっちはつい買ってしまう。セセリは味噌汁に、牛すじは飲みさしの赤ワインが数本、長いことそのままになってるからそれで煮込めばいいし。

 夕方、内臓類全部で500g、新玉ねぎ1個、ニンニク1/2玉、前の畑の大根1/2本も鍋に入れて味噌で煮込んだ。おいしい。本当は四神湯みたいにすっきり透き通ったスープで、蓮の実とかハトムギとかと一緒に、モツを噛んで出た油を口の中にじんわり含ませながら食べる方が好みだとずっと思ってたけど、日本にいれば日本の食べ方でつくるのがおいしいもので、モツも味噌煮がおいしい。

 1時間とか2時間とかかけて何かを煮て、出来上がるのを待つ間に文章を書くというのは、20代の頃、一人暮らしを始めた私が覚えた幸せのひとつだった。世の中にはこういう幸せな時間があったのか、と一人でひしひしと味わった。20代で、若い女としてこの世を生きるというのは本当に苦労で大変なことだから、若い私にああいう幸せがひとつでもあって、本当によかったね、と当時使っていた赤い鍋、キッチン、キッチン前のテーブル、そこにパソコンを出して、ボウルにいろいろ入ったスープを飲んで、今みたいにぱちぱちキーボードを叩いている若い私を思い浮かべる。なぜか後ろ姿。自分で自分の後ろ姿なんて見たことがないのに。いろんな家に住んだ。あの頃家でよくはいてたお気に入りのベビーピンクの短パンは、お尻のところに I♡NY とプリントされていた。洗濯のたびにプリントが少しずつ剥がれて、I♡NY が少しずつがびがびになっていくのが、なんでかうれしかった。時間がかかる料理のレシピばっかり調べて、ブーケガルニを自分でハーブを選んで束ねてしばって作るところからやるのが夢だった。今はモツ煮。ブーケガルニの20代の夢と、馬牛モツ煮の40代の現在と、虹のアーチの向こうとこちらを見ているようだ。

 
 年々、思い出せることが増えていくせいなのか、昔の自分と今の自分が並列していつもそこにいるような気持ちになる。20代の頃読んだネイティブアメリカンの小説に、私たちは骨で、つまり骸骨で、骸骨が前に行ったり後ろに行ったり、そうやってこの世の時間を過ごしていくのだというようなことが書いてあった。記憶は曖昧かもしれないけど、あの文章を読んでからずっと、折にふれて、私は自分を骸骨として思い浮かべる。私の形をした私の骸骨。私の形をした私の骸骨が、今パソコンでこれを書いていて、私の形をした私の骸骨が、馬モツをおたまでよそって、お箸で口に運び、噛んだり、飲みこんだり、皿を洗ったり、前に歩いて進んだり、前を向いたまま、後ろ歩きで後ろに戻って進んで、20代の、本駒込のマンションの10階のキッチンテーブルの私を通りすぎ、後ろから私を眺めている。武藤精肉店には馬がパックの馬肉になるまでのプロセスの写真がかけられていて、馬は骨から肉のみ剥がされて馬肉になっていた。バラバラにされた骨だけの馬は、それでも確かに美しい馬に見えた。御殿場に立っていた私の骸骨は、馬の骨の写真を眺め、骨のない馬肉を買った。

 私の骸骨は、昨日の夜、馬と牛のモツを煮込みながら、このnoteを書き始め、食べながら続きを書いて、途中でお灸をして、眠くなって寝落ちした。私の骸骨は夢を見た。夢の中は真っ暗で、一度だけ見たことのある男の人が自転車に乗っていて、「あの人に殴られないように」と道で誰かが私に忠告した。殴られた記憶がはっきりないのだけど、私はもうすでにその人に殴られていたみたいで、台湾にいるおじやいとこ達、十数名の私の家族が夢の中の暗闇にいて、私を守っていた。目が覚めると部屋の電気がついたままで、夜中の2時半。私の骸骨の、骨と骨の間で、御殿場の馬の肉や内臓のかけらたちが、牛の内蔵のかけらたちや、畑の大根のかけらたちや、グアテマラのコーヒーや梨山の高山茶と、ぐちゃぐちゃにひとつになりながら、私の内臓から内蔵へ、分かち難く私の一部になるまで、流されていく。


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