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「フィリップ・K・ディックのエレクトリック・ドリームズ」4話について

 最近、SFがマイブームです。きっかけは、2月に購入して在宅勤務期間中に読んだ「2010年代SF傑作選」(早川書房/大森望・伴名練)。この本は2010年代国内SFの傑作を収録したアンソロジーで、文庫本2冊(「1」は大御所、「2」は新進気鋭の作家と言うラインナップ)から成っています。ちなみに「2」は現在、読んでいる最中です。

 昔から、SFというジャンルは好きでした。しかし、散発的に気になった作品を読んだり映画を見たりといった程度で、時代ごとにまとまった量の作品を読むということは全くしてきませんでした(昨晩テレビで放送された、かの有名な「未来に戻る」映画を未だに見たことが無いと言えば、決してSFオタクだと胸を張れる人間ではないことがお分かりいただけるでしょう)。今回「2010年代SF傑作選1」を読んで現代SFの世界に触れ、久しぶりに「やっぱりSFって面白い!」と思った次第です。一篇一篇の完成度が素晴らしく(当たり前ですが)、「2」も読んだら感想を記事にしようと思っています。

 ……そうです。この記事では「2010年代SF傑作選」の感想は書きません。ここまで書いておきながら、と言われそうですが……。

 本題はここから。最近SF小説にはまった私は、Amazonプライムで「フィリップ・K・ディックのエレクトリック・ドリームズ」というオリジナルドラマを見つけました。2018年に製作されているので当時、話題になったのではないかと思います。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B078T5KH33/ref=atv_dp_share_cu_r

 しかし私は全く番組の存在を知らなかったので、「フィリップ・K・ディックだって⁉」と新鮮な驚きをもって視聴を始め、昨日までに、全10話のうち4話まで見終えました。

 この作品を貫くテーマは「人間らしさとは何か」。1~3話では仮想現実やアンドロイド、異星人を通してそれを追求しており、2、3話は特に感動的で、涙腺が緩い私はラストで泣いてしまいました。しかし、4話はかなり難解で、どうにも解釈がしづらい。視聴して1日が経った今でも、よく分からない。なので、どうしてこの話が呑み込みづらいのか、それを考えるよすがとして、この記事を書こうと思ったのです。(以降4話のネタバレを含みます。ご注意ください)

 4話「クレイジー・ダイアモンド」は、地球環境の殆どが人間の居住に適さなくなった未来の世界が舞台。主人公・エドは、豚と人間の遺伝子を掛け合わせた人造人間・キメラ(男はジャック、女はジルと呼ばれる)を生産する工場で働いており、妻を連れて閉塞的な土地から離れ、船で新天地を目指す夢を抱いています。しかしある日、工場を見学に来た一人のジルと出逢い、彼女のために工場を裏切る犯罪に加担してしまいます。

 以上が大まかな筋ですが、私がどうにも納得がいかないのが、「エドがラストであそこまで不憫な仕打ちを受けるのはなぜか」。詳しく書いていると暮れた日が明けてしまうので読んでいる人は視聴済みという前提で進めますが、漠然とした夢を抱きつつ、生きることに必死で魅力的な「女性」に惹かれたというだけのエドが、なぜジルや妻から追い立てられねばならなかったのか。私には、そこがどうも呑み込めませんでした。

 確かに妻がいながらジルに惹かれ、あまつさえ犯罪に加担するということも、工場の所長にそれがばれて仕方なしにジルを裏切ろうとしたことも、一つ一つは責められて然るべきことではあります。しかし、食料品が買った当日には腐ってしまうような環境や、経済のために家庭菜園さえ禁じられた一種監視的な社会の中で、展望の見えない閉塞感を抱いた主人公の境遇を考えると、それらを批判することが出来るものだろうか、と思ってしまいます。

 しかし、記事を書いてるうちに、自分でも納得できる仮説に思い至ることが出来ました。

 エドにとって、船旅は夢であると同時に生き甲斐でもありました。それを夢想している時が、彼にとっては幸せだったのでしょう。しかし妻からは現実を見ろと言われてしまう。対してジルは、生きることに対して真剣で、現状から逃げるような夢を抱きはしません。まっすぐに、現状を打破する選択肢を選び続けます。エドに対して見せた弱気な態度なども、恐らくは全て彼の心を動かすための演技だったことでしょう。

 ラストで二人を別ったものは、現実を生きようとしていたかどうか、だったのではないか……そう思えてきます。夫を信頼しようと努力していた妻が、ラストでジルに(恐らくは騙されて)ついていくのは、現実を見据えず夢に逃げようとする夫に愛想をつかしたのだと考えられます。実際、妻がエドに愛想をつかしていたということをジルがほのめかしていました。

 こうして考えると、「エドがラストであそこまで不憫な仕打ちを受けるのは」生きることに対して真剣でなかったから、なのかもしれません。夢を見ることも大事ではありますが、現実から逃げるばかりでは、結局何も得ることは出来ない。

 ラストのシーンで、エドは「船旅」を象徴するレコードを手放せませんでした。それは彼のこれまでと、これからを象徴していたのでしょう。

 記事を書きながら考えてみて、一応、それなりに納得のいく考えに至れたのは幸いです。今回は自分で納得のいかない部分について考えてみたかっただけなので考察とも言えないものですが、同じような部分で引っかかっていた人に、なるほどそういう考えもあるね、と思ってもらえれば嬉しいです。

 明日からは、5話以降を引き続き見ていこうと思います。それでは、良い時間をお過ごしください。

 

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