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進む先がわかる、今この瞬間、幸せなのは?初めての熊野古道中辺路ルートを歩いた記録DAY2

DAY1からの続き…

早朝、朝湯に浸かる。
しらず訪れた宿は、日本最古の温泉地(湯の峰温泉)
にある旅館伊せやさん。

全国数多ある温泉地のなかでも伊せやさんのみに
見られるという“ゆばのような湯の花”浮かぶ温泉は、
身体の奥の奥、五臓六腑まで沁みるように効く。

贅沢極まりなく、くたくたで昨晩たどり着いた我が身を
癒し回復させてくれた力は凄かった。

さぁ朝一のバスで出発(出陣)だ!

残りをどう歩く?またまた決断はバスの中

6:08発の朝一バス。

温泉街から湧き出る湯気と霧で、周囲は白っぽさに包まれている。
さらに吐く息も白い。

わたしを迎えにきてくれたバスの運転手さんは、
昨日くたびれ尽くしたわたしを宿まで送り届けてくれた
運転手さんと同じ方だった。

運転手さんも覚えてくれていた。

この運転手さんはとにかく優しい。
運転もさることながら、ちょっとしたアナウンスに人柄が表れている。

今朝も優しい。
なんかもう今日は大丈夫な気がした。

実は朝の段階でまだどこから歩き出そうか決めてなかった。

本来であれば、昨日の続きから歩き始めるのが真っ当。
残り25kmという距離に不安はゼロではないが、
体調的にいけなくはない気がする。

いや、じつのところ昨日の段階では体力的にいけるのか不安があった。

今日は最終ゴール地点の熊野本宮大社まで一気に歩く。
今日も最終バスまで到着しなければのリミットもある。

体力的なところ、時間的なところ、
これまで連続で歩いたことのない25kmという距離に
少々ビビっていた自分。

でも、決めた。
やっぱり昨日の途中から歩こう。

ワープはせずに、全行程を歩き切ろう。

朝早くの山々の神々しさ

約30分バスに揺られ、昨日のゴール地点に辿り着く。

ここが今日のスタート地点だ。
ここもまだ薄く霧がかり吐く息が白い。

朝日に照らされ澄んだ空気の美しさにため息が出る。

さぁ長い1日が始まる。

○○王子パラダイス

熊野古道には数多くの王子が存在する。

昨日のスタートは滝尻王子。
昨日のゴール(今日のスタート)は近露王子。

その間にもたくさんの王子がいらっしゃる。

王子とは、かつて鳥居があったところ、
要は神社が置かれていた場所ということになる。

王子の多さは、神社の多さを物語り、
いかに熊野古道にたくさんの神さまが置かれていたかがわかる。

太古から多くの人がこの地を目指し、
この地に救いや祈りを見出したのも当然なのかもしれない。

各所の案内板には、後鳥羽上皇や藤原なんちゃら、安倍晴明など、
教科書でみた誰もが知る名前が何度も登場する。

歴代の皇族の方々も歩かれた痕跡が随所に感じられる。

日本人がいかに大切にしてきた道かが歩くとわかる。

御神木の太さが桁外れ、継桜王子の圧倒的な存在感

1日目に歩いたときは、
周りのあまりにも真っ直ぐで均一な優等生の木々たちに、
美しすぎて不自然だなんて、偉そうに書いた。

この日も歩いても歩いても、
あまり変わり映えのない木の姿に慣れてきたころ、
ふと新しい見方が自分の中に生まれた。

待てよ。ここ和歌山は紀の国。木の国なのだ。

代々山を守り、整え、育て、それを生業としてきた木の国なのだ。

なんとバカ者だったことか。
均一で真っ直ぐな美しい木々で埋め尽くされた山は、
それこそ山と人の協働があったからこそなんじゃないかと。

そんな考えにたどり着いた頃、
継桜王子というポイントにたどり着いた。

な、なんだここは!?

これまでの王子とは段違いというか桁違いの何か。

そもそも王子という名がついている
かつては鳥居があった場所も今は石碑のみというところも多い。

でもここは違う。

鳥居の迫力、御神木の尋常じゃない太さが
ここは違うと訴えてくる。

なぜ、ここだけ?

熊野古道のルートから鳥居を見上げると、
鳥居の奥まで続く石段がずらっと目に入った。

登る?登らない?

まだまだこの先ゴールまではほど遠い。
体力はできる限り温存しておきたい。

でも、どうしても登らない選択肢を選ぶことはできなかった。

結果、登ってよかった。
熊野古道で唯一、触らせていただきたいと感じた巨木が
そこにはあった。

上りと下りを繰り返し、また感じることがぽつり

2日目のコースには3つの急な峠が含まれる。
(それ以外にもたくさん小さなアップダウンはある)

当たり前だが峠はきつい。
普段はここまで急な道を歩くことはないから、
身体も慎重だ。

自然、丹田を意識している自分に気づく。

小道のすぐ端は崖といった状況は、気を抜いて歩けない。
長時間の歩行で疲れた足にはなおさら気を引き締めないと危ない。

丹田にぐっと力を込めると身体全体が強くなる感覚がした。
身体が一つになるというか。
動かしているのは足なんだけど、胴体と足がセットになるみたいな感じ。

ぶれない軸のようなものが身体に通るようなイメージに近かった。

丹田の力は下りほど感じる。
力を入れるのと入れないのではだいぶ違う。

昔聞いた、毎日峠を越えて片道2時間かけて
学校に通ってたという母親の話を思い出した。

昔の人が丈夫なわけがわかった気がした。

こじんまりとした平家の暮らし

意外かもしれないが、熊野古道の道中には舗装された道も多い
いちばん昔ながらの道が残ると言われている
中辺路ルートでも舗装された道がところどころ、
いや思っていた以上にあった。

山を抜け、急に開け、民家やお店、畑なんかが出現する。

まるでちょいとタイムスリップしたような気分だ。

これも振り返ってみればの話になるのだけど、
熊野古道の道中のお家は小さな平家が多かった。

というか、小さな平家しかなかった。

平家の前の庭には、色とりどりの素朴な草木や草花、
隣の敷地には小さな畑。

そういうお家も多かった。

周りは山々に囲まれ、きっと朝晩は静寂に包まれるんだろう。
四季折々の山の色彩で季節を感じ、
朝日や夕焼けどきには思わず手を合わせたくなる。

あぁこういうのが理想の暮らしなのかもしれない、
なんて思ったりしたり。

なくなった暮らし

林業を営み、田畑で作物を育てて、
神々しい山山に囲まれ、
静かさの中で生きる暮らしは、
どれほど豊かだっただろうと想像した。

もちろん大変さや過酷さはあったに違いない。
でもとても羨ましい暮らしのような気がするのだ。

熊野古道の道中には、
かつて村が存在していたという場所がいくつかあった。

今現在は、住んでいた家などは残っておらず、
苔むした石垣や前は畑や田んぼだったであろう平坦な土地が
かろうじて残っている様子だった。

昔は日本の中で循環させていた贅沢な国産木材の需要が
安い材の流通で、それまで林業を生業としてきた人たちから
仕事を奪ってしまった。

畑や田んぼでほぼ自給自足の生活ができたとしても、
仕事を奪われてしまっては、そこに生きる意味がなくなって
しまうのではないか。

日本人が太古から大事にしてきた、
自然との共生や豊かな暮らし、誇りある仕事、
そういったものの計り知れない価値が
お金とか経済、便利さといったものにとって変わって
今があるかと思うと胸が痛んだ。

なくしちゃいけないものをなくしてきた気がした。

案内板の一つに、山を降りた村民の話があった。
最後の村民たちは去り際、杉や檜などを植林して山を降りたのだという。

なんだかまたいろいろ考えさせられた。

先がわかった方がいいのか、今この瞬間に力を注ぐのがいいのか

2日目はガイドブックを見ながら歩いた。
ガイドブックは、次にどんな道が峠が待ち構えているか
詳細に教えてくれる。
あとどれくらい距離があるかも。

親切丁寧で、心と身体の準備ができる一方で、
かえって心と身体にダメージを受けることもある。

1日目はガイドブックを見る余裕すらなかった
とにかく必死だった。
でもそれはそれでよかったような気がする。

足元が用心しないと危ない道は足元だけを見て、
少し余裕のある道は数メートル先をとらえながら進む。

せいぜい数メートル先までの未来。

数キロ先に何が待ち構えるなんか知る由もない。
ただただ今に集中。

なんだかこれって大人と子供の違いのような気もしてきた。

大人は先を知りたがる。
この道で大丈夫か、この先に何があるのか、
失敗しないためには何が必要で、どうすれば達成できるか。

知らない世界や未知の体験は怖いから
できるだけ情報を集めて、計画して、安心したい。
効率よく物事を進めたい。

でも、子供は違う。
今楽しいこと、今やってること、今興味あることの
世界で生きている。

その先に何があるなんか期待してない。
ペース配分なんてものも知らないから今に全力投球。

失敗したらどうしようとか、
達成できなかったら困るとか、
そんな発想も持ち合わせていない。

だから、効率も計画もへったくれもない。

そういう子供期を経て、だんだん経験が知恵となり、
よりよいやり方へと判断、思考できる大人になってくるのが
自然な成長発達ということになるんだろう。

でも、熊野古道を歩いいていて思ったのだ。

これからの人生は、また子供に戻っていくのもいいかもしれないと。

これまでは計画立てて、怖くなくなるまで準備しての
人生を歩んできたように思う。

もしかすると、人よりその傾向が強かったかもしれない。

でもこれからはやってみないことにはわからないこともあるから、
今やりたいで生きてもいいのかもしれないと思ったのだ。

どっちか一方じゃなくてもいいし、
どっちがいい悪いもない。
自分が好きな方を選んでいけばいいんじゃないか、と。

おやつには佐渡から持参した干し芋

失ってはならない大切なものはなにか

熊野古道から村がなくなり、山を降りた村人の話を前述した。

山と暮らし、暮らしと仕事が切り離されてしまった。

道中、たまたまガイドさんの話が耳に入った場面がある。
ガイドさん曰く、
「災害のためにとつくった大きなダムができると、
 川が機能しなくなってしまった

結果、災害はより深刻に…

人間がよかれと思って生み出したものは、
自然から本来の力を奪ってしまった。


また今回宿泊させてもらったお宿の現状も目の当たりにし、
日本の資源(宝)の危機を実感した。

四世紀に温泉源が発見されたという
日本最古の温泉地らしい湯ノ峰温泉。

その中の一つ、立派な旅館を切り盛りされていたのは、
文字通り“ご主人一人”だった。

チェックイン、チェックアウト、予約の受付、
食事の準備、清掃、部屋の片付け…etc

なんと全てを一人でこなされているとのこと。

平均睡眠時間はなんと2〜3時間。
それが毎日。


それに加え、いまでは熊野古道を歩く8割が外国人観光客。

言葉の壁や外国人に向けたサービスも
乗り越え、充実させていかなければならない。

きっとコロナを挟んで、
わたしが想像し得ないような大変さが
あったことだろう。

いったん解雇せざるをえなかった従業員の方にも生活がある。
忙しくなったからまた来てほしいと言っても、
別の仕事をもう始めているだろうからそう簡単な話じゃない。

宿のご主人がいつ倒れてもおかしくないような、
歴史ある温泉街の現実。


いまは、熊野古道はじめ、
日本の自然や神社仏閣、歴史や伝統は、
日本人より外国の方の方が詳しく、価値を見出しているような
気がした旅でもあった。

なくしちゃいけないものがある。
失ったら取り返しがつかないものがある。
守っていかなければいけないものがある。


でも、それらは、
その尊い価値を知っていて、気づく心がないと
不可能な話なのかもしれない。



熊野古道中辺路ルート
1日目:滝尻王子〜近露王子(約13km)
2日目:近露王子〜熊野大社本宮(約25.5km)
総歩行距離:38.5km

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