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☆ひとりでも多くの人に知ってもらいたい、明仁天皇皇后両陛下のこと☆


新元号発表まであと2日…。
いよいよ平成が終わりを迎えます。

昨年、皇居勤労奉仕に参加したことがきっかけで、
天皇陛下について、
日本の皇室について、
一国民として心を寄せるようになりました。

皇居勤労奉仕に参加したときの様子はこちら
https://note.mu/erikokitazawa/n/nd76474b6db80


このとき天皇皇后両陛下に
直接お会いすることができ、

その圧倒的な存在感と
わたしのボキャブラリーではうまく表現できない
ありがたいオーラを纏ったお姿、
優しさと温かさと慈悲深いお言葉に
自然と涙が溢れ、

深々と頭を下げずにはいられませんでした。

今でも思い出すと胸が熱くなります。


この皇居勤労奉仕の期間中に、
天皇陛下のお仕事とは「祈り」である
ということを初めて知りました。
(情けない…。)

恥ずかしいことに
これまでさほど知識をもたずに
のほほんと生きてきてしまったため、

前よりわずかに心を寄せ、
関心をもつようになったとはいえ、
知識レベルは平均以下の可能性も大いに
ありえるわたし。


ただ、自分の無知をさらす恥ずかしさよりも
“このこと”を一人でも多くの日本国民に
(わたしのような今まであまり関心がなかった方へ)
知ってもらいたいと思う気持ちから

以下、書き進めていきたいと思います。


書き進めるといっても
わたしの乏しい知識を披露するのではなく、
たけもとのぶひろさんが書かれた
『今上天皇の祈りに学ぶ』という本を元に

まとめていきます。

この本は、
主に2016年に8月8日に公開された
天皇陛下のビデオメッセージのお言葉
から
天皇陛下の想いやこれまでの葛藤、お務めに迫る内容なのですが、
とても誠実でわかりやすく、

時間のある方にはぜひ読んでもらいたい1冊です。

正直、◯翼◯翼とかに関しては、
よく分かっておらず、
たけもとさんを知る人からすると
いろいろとご意見もあるかもしれませんが…。

『今上天皇の祈りに学ぶ』
https://www.amazon.co.jp/今上天皇の祈りに学ぶ-たけもと-のぶひろ/dp/4903145646

わたしは何度もうるっときそうになり、
こみ上げるものがありました。

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1、問い続けてこられた「象徴天皇」とは


「天皇の長い歴史のなかで、
天皇を『象徴天皇』と規定したのは、
現行の『日本国憲法』が初めてです。」

らしいです。
それすら知らなかったわたし…。


このような状況下で、
明仁天皇(明仁は現在の天皇陛下の個人名)は
ただひたすらに

「象徴天皇とはどうあるべきか?」
「象徴天皇の務めとは?」

を生涯に渡って問い続けてこれれたそうです。


明仁天皇はその答えを
皇室の先祖である歴代の天皇の姿に求め、
自らのお考えとして次のように述べられています。

『日本の皇室は、長い歴史を通じて、
政治を動かしてきた時期はきわめて短いのが特徴であり、
外国にはない例ではないかと思っています。

政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せた
という過去の天皇の話は、
象徴という言葉で表すのに最もふさわしいあり方

ではないかと思っています。

わたしも日本の皇室のあり方としては、
そのようなものでありたいと思っています。』


“国民とともに歩む”。


「象徴天皇の務めは、君臨・統治ではなく、象徴・統合」であり、
「国民皆の声に耳を傾け、喜びも悲しみも共にする。
共感共苦する。受け容れて共にする」。

象徴天皇として、

・「全身全霊をもって象徴の務めを果たす」
・「国民のために尽くす」
・「国民皆の身の上を思って祈る、祈り続ける」
・「国民の苦しみに心を寄せ、国民の幸せを願って心を寄せる」

これらが大事な務めであると。


『私の皇室に対する考え方は、
天皇及び皇族は国民と苦楽をともにすることに努め、
国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくこと

皇室のあり方として望ましいということであり、
また、このあり方が皇室の伝統ではないかと
考えているということです。』

このお言葉を自らの行動によって、
「全身全霊をかけて」務め続けてこられたのが
明仁天皇だったと。


本の中では具体的なエピソードとして、
東日本大震災直後に

・「那須御用邸の職員用入浴施設を避難者に解放」
・「皇室用の御料牧場の生産物である卵や野菜などを避難所に提供」
・「両陛下も御所にて『自主停電』」を実施

されたことが紹介されていました。
また、明仁天皇の体調を心配し、
声をかけた職員に対して、

『大勢の被災者、苦しんでおられる人たちがおり、
電源すらない人もいる。
…寒いのは厚着をすればいいだろう。』

との趣旨のお話をされたことも
書き添えてありました。


2、象徴天皇と国民は「割符」の関係


1、で明仁天皇が象徴天皇とはどうあるべきかを模索し続け、
全身全霊をかけてその務めを果たしてこられた
ということを書きました。

まさに、全身全霊。
「国民皆を思い」「国民皆のために祈り」
「国民とともに歩」んでこられた明仁天皇。


そんな明仁天皇に対して、
わたしはどうだったかというと。

・そんなにも「思い」「祈って」くださっていることすら知らなかった。
・天皇陛下に対する知識や思いがなさすぎた。
・これまで関心を寄せることがなかった。

あぁ恥ずかしい…。
情けなくて申し訳ない…。



本の中で象徴天皇と国民の関係性とは
どのようなものかということが
解説されているのですが、

わたしの理解で表現させてもらうと
“2つでひとつ”の関係なのかなと。


本では、「割符」という言葉
表現されています。

ちなみに、
「割符」とは『新明解』によると
「木の札の中央に文字・印を書いて、二つに割ったもの。
別々に持ち、後で合わせてみて証拠とする」

と書かれているそうです。


要するに、
「天皇と国民というと一見別々の存在のように
見えるけれども「合わせてみる」と
もともとは同じ一つのものだったことが分かる、
象徴天皇と国民とはそういう“割符の関係”なのだと」。


明仁天皇は、
『国と国民の姿を知り、
国民と気持ちを分かち合うことは、
象徴の立場から大切なことと考えています』

とのお言葉通り、
絶えず「国民皆とともに」「国民皆を思い」
心を寄せ続けてこられた
ことは
何度も書いてきたのですが、


そんな明仁天皇に対して
国民は心を寄せてきただろうか?


間違いなく、わたしはしてこなかった…。

天皇陛下から国民への「片道切符」で、
国民から天皇陛下への「回路」や「道」が
数が少なく乏しいのが
今の日本の現状のような気がします。

“割符の関係”は、
「片道切符」ではなく「往復切符」
であってこそ
ものすごいまとまりやパワーを
生むのではないかと思います。

これまで無関心だったわたしが言えることは
何もないのですが、
それでもあえて今伝えたいのは、


“明仁天皇皇后両陛下を思うこと”。


それは祈ってくださっていることに対する感謝でも
天皇皇后両陛下を思い浮かべ心を寄せることでも
いいのだと思います。

「天皇に対する国民の尊敬と敬愛の感情、
そして天皇の国民への思いと祈り」

これらは“2つでひとつ”なのだと。


3、美智子皇后陛下の存在

明仁天皇にとって、
美智子皇后の存在がいかに大きなものか、
お言葉やエピソードを交え
本の中では紹介されていました。


皇居勤労奉仕に参加したとき、
美智子さまから

「ありがとう」

とのお言葉を団体全体に対して
かけていただいたのだけれど、

わたしは未だかつて
あんなにも温かい、心のこもった
“ありがとう”を聞いたことがありませんでした。

自然と涙が溢れ、胸が熱くなりました。


明仁天皇はまだ幼い3歳の頃に
ご両親(昭和天皇皇后両陛下)の元から離され、
血の繋がりのない大人たちに囲まれ、
絶えず監視されているかのような環境の中で
帝王学を学ばれたそうです。

そんな言葉にならない寂しさや孤独を味わったからこそ、
明仁天皇皇后両陛下は現在の皇太子さまや秋篠宮さまを
同じ家の中で育てられました。


『家庭から離れていることは
精神的安定感が失われることに
なると思います』

と、お言葉でも述べられているそうですが、
そんな明仁天皇にとって
美智子さまと築きあげてこられた家庭は、
「何ものにも代えがたい価値の源」だと
本には書かれていました。


まだ明仁天皇が皇太子だった頃、
電話口で美智子さまにプロポーズされたときの
エピソードも紹介されていたのですが、

『戦後十余年を経て、
やっと日本に復興の兆しが見えてきました。

私はこの日本を復興し、
国民を幸せにしなければいけない。
それが務めです。

(中略)ぜひあなたのお力を借りたい。』


と話された明仁天皇のお言葉に対し、
美智子さまは、

『お若いのに、なんと重い荷物を背負って
人生を歩まれるお方だろう』と思われ、

『私にできることなら、お手伝いさせて頂きます』

と、お返事されたそうです。


また美智子さまがご結婚される前年に
ご友人の方に宛てられた手紙の中で
心の内を明かされておられます。

ちょっと長いのですが、
削る箇所が思いつかず、
そのまま引用させていただきます。

「ご家庭なしでいままであそばしていらした
東宮さまのいろいろなお話、
そして、そんなにもご家庭がほしかったということを
うかがいますと本当にうかがった時だけでなく、
1人で思い出す時もいつも涙が出て仕方がございません。

『家庭を持つまでは絶対に死んではいけないと思いました』
とお話くださったとき、
私はいままでの自分の見聞の中にも、
読みました小説の中にもこんな寂しい言葉はなかったと
思いました。

そして、その中を二十五年間もけなげにお歩きになっていらした
東宮さまのために乏しい力の全部をあげて
暖かいホームを作ろうと決心しました。」


それから60年近く。

共に同じ思いをもって、
同じ方向に向かって歩まれ続けて
こられたのだと思います。


明仁天皇は美智子皇后について聞かれた際、
このようなお言葉を述べられたそうです。

『天皇という立場にあることは、
孤独とも思えるものですが、私は結婚により、
私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる
伴侶をえました。

皇后が常に私の立場を尊重しつつ
寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、
これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを
幸せだと思っています』


4、生前譲位をご決断された背景


象徴天皇としての務めを
「全身全霊をかけて」続けてこられた
明仁天皇だからこそ、

「『象徴という務め』を十分に果たすことが
できなくなった段階で、
もはや『天皇の地位』に止まるべきではなく、
その地位を皇太子に譲らなければならない」

との思いに至ったのではないかとありました。


明仁天皇のお言葉でも

『天皇たる者は、もし仮に全身全霊の務めを
なしえないとなれば、
天皇の地位にあってはならず、その地位を去って、
次の天皇へと譲位しなければならない』

とおっしゃっているそうです。


実際、皇居勤労奉仕に参加した際、
職員の方から教えてもらうお話を聞いて、
天皇皇后両陛下の多忙さに驚愕しました。

80歳を超えられてなお、
驚くほどのご公務や祭祀をされていることを
知りませんでした。


これまでと同じように「務め」を
続けていくことの限界、

天皇としてその「務め」が止まることなく
繋がっていくことの重要性を
何よりも感じていたからこその
ご発表だったのだと思います。


本の中では、
そういった思いに至られた背景として、
昭和天皇の存在についても触れられていました。

壮絶な最期となった昭和天皇の
「深刻な状態」は丸々1ヶ月ほど続いたそうです。

そんな昭和天皇の容態をそばで見守りつつ、
皇太子として天皇の「務め」を代理で
行わなければならなかった明仁天皇。

天皇陛下はいらっしゃるのに、
「務め」は天皇ではない自分が
行わなければならないこと。

きっと想像し得ないほどの
葛藤があったのではないかと思います。


うまくまとめられなくて申し訳ないのですが、
こういった背景は「知る」ことが
とても大事なんじゃないかと思います。


5、今できること

あと1ヶ月とちょっとで「平成」という
時代が終わります。

明後日には新しい元号が発表されます。

そんな時代の流れの中で、
“今”わたしたちができることがあるとしたら、

“明仁天皇皇后両陛下を思い、
感謝すること”

なんじゃないかと思います。


2、でも触れましたが
象徴天皇と国民の関係性は
“2つでひとつ”。

最期の最後まで「国民皆」のために、
「全身全霊で」祈り続けてくださる明仁天皇皇后陛下の
「祈り」に対して、

国民一人一人も
「感謝」や「思い」を届けること。


それがもうすぐやってくる
新しい時代へと「繋いでいく」
ことなんじゃないかと思います。

そして、
現在の皇太子さまが天皇陛下となられた際も
変わらず新しい天皇陛下を
「思い」「感謝」すること

日本の平和や幸せに繋がるのではないかと思います。


2016年8月8日天皇陛下ビデオメッセージ↓

https://youtu.be/d35qY42vnZQ


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