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3.11。
本当は去年10年という節目に伝えたかったのですが、当時を思い出し、結局娘に聞いてもらっただけで終わりました。

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こんにちは、小林恵梨子です。
お手持ちの服でのコーディネート提案であなたの毎日を豊かにするファッションプラットフォームアプリ「ミニスタ®」の立ち上げ奮闘中です。

noteではファッションのことを中心に、プライベートや普段考えていることなどを書いています。
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当時シンガポールに暮らしていた私は、震災直後からボランティアをしていていました。
5月にはシンガポールから被災地に行き、気仙沼、陸前高田、大船渡、石巻、大槌町をまわり支援物資の配布、学校訪問、復興プロジェクトの立ち上げなどに携わりました。
翌年1月にもシンガポールの人道支援団体のMercy Reliefのボランティアとして再度被災地を訪れ、越冬支援として毛布の配布のためのロジを、その後も復興支援として国内の支援団体とのマッチングを経て重機免許取得のためのサポート支援などをお手伝いさせていただきました。

震災後2ヶ月に初めて被災地を訪れた時のショックは今でも忘れられません。
瓦礫に、破壊された街に、一面に散らばる誰かの所有物。

当時1才半を過ぎた娘がいたので、ランドセルや三輪車が土砂にまみれているのを見るのがつらかった。

その中に、はがきの束があったんです。
一瞬拾ってお届けできないかと思ったのですが、「誰かのモノ」がそこら中に散乱していて、たった1人にだけでも持ち主に戻すことは難しそうでした。
役所の機能もパンパンだったし、私は今のミッションを終えたらシンガポールに戻らなくてはならない。

それでも何か気になって、写真にだけは収めていました。
毎年3.11が来るたびに思い出すのはこのはがきの束。

時間が経ち状況が落ち着けば落ち着くほど、仮に時間がかかっても、なぜ拾ってお届けしなかったんだろう、住所が書いてあったじゃない、とずっと後悔していたんです。
いくら他の人のものもあったから、と変に平等になる必要もなかったんじゃないか、と。

それを誰にも言えなくて、10年目の去年、夜一緒にベッドで話していた時に娘に聞いてもらったんです。
こんなことがあったんだーって。
その時まだ娘は完全に断乳への切り替えを終えておらず、夜たくさん泣いていたと預けていた実家の母から聞いたことなども。

何をどこまで思ったのかは分かりませんが、それで良かったと思うよ、と、そう言ってくれました。

「高野」さん、ごめんなさい。
どうぞ今もたくさんのはがきが高野さんに届いていますように。

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たくさんの笑顔で一緒に写真を撮ってくれた小学生。
この写真は高学年の子たちですね。
シンガポールからの寄付金で給食を準備し、お昼休みに一緒に遊びました。
今では我が子がこの子達の年齢になり、そしてこの時会った子どもたちはちょうど社会に出たり、その準備をしているのだと思うとあの時の笑顔とこれからのご活躍を思わずにはいられません。

そしてこの時に笑顔で毛布を受け取ってくれたおばあちゃま、まだお元気にされているかな。
地元の方のお話を伺うためにお邪魔したお宅で頂いたおでんの味も忘れられません。

はがきの心残りはずっとあったものの、この時期に私が思い出すのは当時出会ったみなさんのこと。
当時被災されたみなさんのこれからがますます幸せになることを祈ってやみません。
そして世界に平和が訪れることを。

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