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17周年。

今日3月9日は、マザーハウスを創業した日だ。

17周年を迎えられた。

全てのマザーハウスユーザーのみなさんと、これまで多くの学びを与えてくれたみなさんに感謝しています。

一昨日、「セブンルール」というテレビに出させて頂いたのでその反響が嬉しくもとてもあり、少し慌ただしくしているんだけれど、それでも毎年のように、創業記念日は個人的に朝、第一号店をひっそり訪れる。


台東区入谷。

現在私たちの倉庫になっている8坪の小さな空間の前に、1時間ほど立っていた。

現在45店舗、国内外に私たちは直営店を持っているので、初代の店舗がまさかここだったとは新人のスタッフも最近では、とても驚く。


入谷一号店(現弊社倉庫)

資本金250万円でスタートしたが、当時25歳で情熱しかない私は銀行から借入ができなかったので、とにかくお金がなかった。

この店舗を出す資金は「女性起業家ビジネスプランコンテスト」でグランプリをとって頂いた賞金300万円だった。

最終審査には数名選ばれていたが、正直自分とその他の参加者のみなさんとでは、明らかに切迫感が違っていたように思った。


「300万もらえないと一号店作れないんだ、生産をしたいんだ、途上国から届けるんだ」。

当時の私を気狂のような目で見る人も多かったが、審査の時も「300万で都内にお店ができるわけないでしょう?計算間違っているよ」と言われたのだが、逆にキョトンとしてしまった。

「え。だってそれしかないなら、やれる方法を考えますよ」って言った。


その後、台東区の入谷に8坪8万4000円の物件を見つけた。


当時は、ロゴがなんだかほっこりしていた。


木材は歩いて5分の木材屋さんのおじさんから安く仕入れて、糸鋸やペンキはホームセンターで買い、天井をぶち抜く必要があった為、ガタイのいい友達を呼んだ。


そんな感じで250万で作れた。


「やっぱり、やればできた。」とコーラを飲みながら思った私の26歳の誕生日であり、開店日だった。

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毎年聖地巡礼かのごとく、倉庫になっているこの店の前で時間を過ごす。

色んなことあった。色んな人がいた。色んな考えがあった。

まとめることはできないが、今日思ったことを記念に書いておこう。


起業した頃は、入谷店のケースみたいに、やっていないのに、時折「できない」って断定する人々と多く出会ってきた。


おそらく、その人の中では様々な知識や情報を掛け合わせて、「できない」と想定しているわけだが、本当にやってみたことがない人たちだった。


「やったことないのに、外野から“できない”っていう人たちは、何が目的なんだろう?やるから見とけ」って日記に書いたりしていた笑。


そして、「やってみたけど、ダメだったんだ」って途中で歩くことをやめてしまう人や考え方とも、起業して数年経つと多く遭遇するようになってきた。


問題にぶち当たった時に、次の選択肢やアクションが無限にあるのに、「これがダメだったから、もうだめだ」と悲壮感たっぷりに言う人たちや思考との出会いは、私にとって「本当なのかな?」の連続だった。


「諦めない力がありますね」ってよく言われるが、感覚としてはそういう精神力とはちょっと違う。


「他にも方法あるんじゃない?全部やってみた?」っていつもいつも途上国で聞いていたことを思い出す。


私たちは、とても限られた情報や選択肢の中で「やる・やらない」を決断していると思う。


この選択肢の出し方や数が、人が物事を続けるかどうかで圧倒的に重要なのに「精神力」になぜかまとめられてしまうことが多い。


起業当初、私がバングラデシュの生産委託工場で何度か裏切られていた時、「自社工場でやってみる」という選択肢をとったが、その選択は、「あり得ないもの」として他の人にはうつっていた。そうだろうか?


世間一般の「クリエイティブ」って言う言葉の使い方には違和感があって、私の中では本当のクリエイティブって、この「選択肢を広く持てること」だと思う。

複数の角度、異なる視点、あるいはその組み合わせから、ダイナミックに案を生み出すってことがクリエイティブであり、その発生によって、続けられる状態が生まれる。だから結果的に、継続の道を選んでいけるって言うのが私の17年やってきた感覚。

だから「諦めない力」とか「志」とかは、個人的なフィット感はない。


そしてもう一つ。10年過ぎたくらいからよく思うことがある。


実は長く継続していると、この「柔らかい発想や思考」のままで、居続けられるか、がすごーく大事だと思う。


私たちは、何も知らない時に、とても柔らかい。でも、経験を積むと、少しずつある種のフォーマットや初期設定みたいなものが固まってきて、その上に、経験値みたいな加工がのる。


さらに、それら総体の「キャリア」を称賛されたりする機会も増えたりする。


他人からの称賛や、自己肯定できるような機会が増えると、いつの間にか、お偉いさんみたいな香りを発生する人たちとも多く出会ってきた。

中には、組織や役割が大きくなっても、軽々と自然体なままの人もいた。

私は、20代の頃から社長で、大きな企業や経営者の方と出会う機会も多かったので、その違いってなんだろうな?ってその人生プロセスを横目で観察していた。

色々な理由が人によってあると思うけど、ある種の自己顕示欲や、いき過ぎた自己肯定が「柔らかさ」を蝕んでしまう虫なのかなあって思っていて、防虫対策を心にするようにしている。

光栄にも「7ルール」の後も、山ほど、沢山のメッセージをいただく。

「ロールモデルだ」って言ってくれる高校生、大学生の女の子たちからのDMはとっても素直に嬉しい。

でも、私も彼女たちと同じくらい柔らかい頭で、生きていきたいな。

そしてデザイナーとしても、きっと、私はこれから1万モデルとか鞄を作っていくんだと思うけど、生涯、玄人にはなりたくない。

ずっとずっと、初心者マークつけて、未知との遭遇にワクワクしながら、世界を舞台に生きていきたい。

初めてこのお店を出した時のように。

追伸:この写真を向かいの区民館に携帯置いて撮っていたら目の前に金髪ヤングカップルが通り、邪魔だと文句を言われ謝罪する私。笑。頑張ろう。

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