16周年。フランス事業撤退のお知らせ
3月9日で16周年となりました。
改めて16年もの長い間、私たちを応援してくださり、そして商品を使ってくださっている本当に多くの皆様に感謝でいっぱいです。
2020年からの2年間、本当に厳しい経済状況の中ではありますが、店頭やオンラインで頂くお客様のメッセージに支えられ、17年目に入りました。
周年記念には、毎年1年間の振り返りや報告をしています。先日オンラインイベントを開催させて頂き画面上でも伝えさせて頂きましたが、このnoteでも一つ、報告があります。
パリについてです。
パリのフランスに2018年末から進出し、チームを作り、ショールームのオープンをコロナ禍でも実現したのですが、2021年11月をもって、フランス事業の撤退を決意しました。パリに開いた現地ショールームと現地子会社を閉じることとなりました。
撤退と言っても、本当にスタートアップの段階だったのでご存知ないお客様の方が多いかもしれませんが、私の一つの夢だったのですごく応援してくださっていたお客様がいらして、現地にいるときも毎日のようにインスタやメールで応援の言葉をもらっていたから、ちゃんと報告をしたくてこのnoteも書いています。
撤退の理由としては、複数ありますが一つ目は、現地で代表を勤めていたポーリーンという素晴らしいスタッフが体調不良になってしまい、それに伴って現地業務執行が困難となったことです。私はスタッフと上司という役割を超えて、本当に心配していた日々が続いたのですが、連絡が取れなくなって、ようやく半年後くらいにzoom会議ができることになったとき、画面上に姿を現してくれた時の彼女の状態は、本当に一日でも早く回復して欲しいと願わずにはいられない、そんな状況でした。
ポーリーンはコロナ禍でもショールームをサントノーレという一等地にオープンさせ、小さいですがお客様イベントも開催し、現地のメディア掲載も獲得していったので、完璧な状態のポーリーンだったら、突破口を見出せたかもしれないと思えていました。
彼女はいつも「あなたは私の人生のロールモデルなんだ」って口癖のように言っていて、私の哲学を完璧なフランス語に翻訳するために、素晴らしい翻訳家を見つけてくれたりもしていました。私はこの子に賭けてみたい、って思えたから、入社早々にバングラデシュ、インド、スリランカにある自社工場に招待するという特別な研修を組み立てたんです。
バングラではみんなにパリの街並みを紹介してたのが、とても印象的でした。(下写真)他のスタッフから「なんか山口さんと似ているね」と言われるほど、相性がとても合ったし、「この子は将来大物になるんだー」って私は周囲に伝えていました。
だからこそ、本当に残念なんだけれど、それ以上に心配でした。
次に、長引くコロナにより身動きが取れなかったことも正直壁となりました。生産地開拓の場合、自分自身が現地に張り付いて出荷するまで居座る(笑)みたいなことができませんでした。そして、そのような選択を、日本も大変な時に自分がすべきではないとも経営者として思い、ずるずる動かないパリのままであるならば、ここは一度撤退すべきだと考えたのです。
応援してくださった方には申し訳ない気持ちでいっぱいですが、約2年、面接をし物件交渉を一緒にやってきて、ショールームのオープンやメディア対応までですが、自分なりに学べたことは山ほどあったなあと振り返っています。
現地のウェブマガジン。
ショールームオープンの時の様子。
経営者としての学びもたくさんありますが、私はデザイナーとしての学びの方が多くあったように感じています。どちらも繋がっている学び、かなと思います。
パリに進出前と進出後では、デザイナーとしての感覚は全然違います。
これはなかなか言葉で説明できないのですが、パリのお客様が私のデザインを「ミニマリズム」と「東洋的」であるとたびたび評価してくださることで、“自分のデザインの輪郭を知ったこと”が最大の成果だったと認識しています。
台湾、香港、シンガポールに進出はしていたけれど、あくまでアジア圏内で聴こえる声と、まるで違う西洋の声は自分自身が日本人として無意識に捉えていた様々な美しさの価値観を見える化してくれたのです。
それ以来、日本が紡いできた美学、ワビサビ、禅、余白の美、用の美、そうした足元にずっとあった美しさを再度学ぶようになりました。
パリに行って初めて日本人である自分を自覚するなんて、とても皮肉で、愚かだなあとも感じるのですが、Layというプロダクトからパリで学んだことが商品に加味されていることは確かで、その辺りから、MHのプロダクトの香りはちょっとずつ変わってきているはず。
そして、私は進出して初めて外からもっていた「フランス」のイメージと現実のギャップも知りました。
ほとんどのお客様は、メゾンブランド出なければ、合皮のバッグの方がデイリーには良い、と言っていました。
本当に1%の人たちは、本や雑誌にも出てくるようなおしゃれなファッションを楽しんでいるけれど、多くのパリの人たちは2万円以上のカバンを自分へのご褒美で買うような経済状況でもなければ、嗜好もないなあと分かったのです。
改めてパリを歩きながら、「ああ、東京ってやっぱりすごーい」と唸っていた日々でした。
大体の人たちはザラなどのファストファッションを着用し、スリに合わないようなナイロンのジッパーバッグを持参して、フラットシューズで過ごしています。
面白かったのは、面接の部屋のドアの後ろで、運動靴からピンヒールに履き替える女性を見た時でした。(そしてそのフラットシューズをそのままカバンに投げ込むラフすぎるスタイルも私はパリの女性らしいと感じています)
本当に雑なんです。全ての仕草や言動に対して私はそう思うことが多くあり、綺麗でもスタイリッシュでもなんでもないことが、パリの街並みや、いわゆる刷り込まれた西洋人らしい容姿によっておしゃれっぽくカバーされているようにも思えて、そして、その度に、日本人が細部に非常に目がいく小さな島国の民族なんだということも改めて学びました。
書き出せばキリがないんだけれど。
あの時も面白かったな、とかあの時はイラついたな、とか、たくさんの思い出があります。
今度パリのコレクションに出るデザイナーさんと話していた時、彼はスカーフに犬の絵をプリントしていたんです。そのプリントの技術がフランスの田舎でやっていてとても難しいと話していました。
会話の中で、「でさ、あなたは、なんでそもそも犬描いてんの?」と私が聞いたら、「犬が好きだからだよ!」と言った。
「へー」で終わったその会話。
そんな調子の会話をとても頻繁にクリエイターの人としていたんです。
何が言いたいかっていうと、私は「なぜ描くのか」「なぜ作るのか」を非常に追求するタイプの人間で、「え、かわいいじゃん」「え、好きだからだよ」という単純な返事に最初は戸惑ってしまったんです。
「意味を問う」ことは間違っているのだろうか?と自問自答していました。
「では犬よりパンダが好きになったらどうするの?」「パンダをかく」「じゃあ犬のスカーフは?」「その時の自分だよ」そう言われて、はっとしました。
「時を刻むファッション。ああ、それがイコール、ファッションなんだ」って。
「でも待てよ、長く続くファッションもあるはずじゃないかな。少なくとも私は、消耗品を生み出したくはない。」そう思ったんです。
時を刻む、いわゆるトレンドとして、流れるもの、流通することは素晴らしいことだと思う。心をワクワクさせて、ときめかせるものかもしれない。だけど、パリで確固たる想いになったのは「私は、流されないものを作りたい。流されないスタイルを作りたい。時代を反映するファッションよりも哲学を反映するスタイルを作りたい。流されない哲学に立脚して。」それが寒いパリを散歩しながら見えてきた自分の思いでした。
そうした思考やたくさんの出会いは、撤退という「事業の選択」をしたけれど、きっと未来に繋がっていくと信じています。
事業はあくまで事業。私たちは人生を生きていて、経営者やデザイナーである前に、人間なので、当たり前に感じたことや経験したことはEraseできないんだと。
最近は特にそう思います。事業なんてたかが事業なんだよなあって。
人がそこで笑い、人がそこで生き生きとした表情になっているの方がよっぽど大事だよなって思う私は経営者失格でしょうか。経営は脳みそでやる大事な作業だと思いますが、心でやる作業はもっと大事なはずだと思っています。それはもう私の譲れない考え。だから、ポーリーンに元気になって欲しいって思うし、撤退は消滅を意味しません。
16周年という記念日に、撤退の報告となってしまいましたが、引きで見れば長い道をうねうねしているそのプロセスだと思います。その道の途中で色んな人種の人がわいわい、笑ったり議論しながら進んでいるような。ブレーメンの音楽隊みたいなマザーハウスだと思っているんです。
奏でる音楽は、完璧じゃなくても人間じゃないと生み出せない温かさがあると信じて、この冷たいニュースで埋め尽くされた時代でもそこを諦めずに、人間らしさとか、人間の味を諦めずに、奏で続けるんです。
マザーハウスって、Humanityのブランドだなって思っていて私は、そういう気持ちで、17年目も、きっと18年目も、ずっと人とモノをもみんなで歩いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。 山口絵理子
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