見出し画像

なぜにどうしてスリランカ①初めてのスリランカ

私はタイに行きたかった

なぜ私は今スリランカで暮らしているのか。

話せば長い、やむを得ない事情がある。
…なんてことはなく。
非常に当たり前に、本人さえも事後承諾という形で今に至る。

きっかけは学部2年生の時、フィールドワークを学ぶ講義に参加したこと。授業の一環として夏にスリランカに2週間渡航して現地の大学と交流するというものだった。

その前の年に初めてベトナムに行ってから海外に行くことへの憧れが強くなっていた。旅行に行って単位も取れるなんて一石二鳥くらいの気持ちで参加していたので、スリランカじゃなくても良かった。むしろ行きたい国はタイだった。タイ語の授業を取って、アローイ(おいしい)など単語を覚え、非常にまじめだったので、タイ語の先生に褒められたりもしていた。

ちなみにあれから20数年が経つが、まだタイには行ったことがない。人生ってほんとわからない。

スリランカでおぎゃあと生まれた私

当時スリランカはすでに20年もの間内戦状態だった。私達が日本を出発するひと月前、スリランカ唯一の国際空港で、ゲリラ軍による奇襲攻撃があった。成田の出発ゲートで引率の教授がもう大丈夫かなあとか話していた。私はその「大丈夫かなあ」の度合いが計れないほど幼かった。

総勢10数人の学生達とスリランカに降り立った。
私達は、現地の大学生と交流したり、初めての蚊帳を経験したり、商店で値切ってみたり、現地の兵隊さんにナンパされたり、詐欺師に宝石屋に連れて行かれたり、順番にお腹を壊したり、ドリアンの臭いに戦慄したり、世界遺産を見に行ったり、片言のシンハラ語を使ってみたり、した。

「ワヤサ キーヤダ?(年はいくつ?)」
という質問に
「ダハナマヤイ(19です。)」
と答えると、
「小学生だと思ってた!」
という反応が返ってきた。(当時の私にはそこまでの語学力がなかったため想像もあるが、他の場面でも私だけ飴をもらったり、年かさの女性に頬を撫でられたり、やたら子供になつかれたり、心当たりがある。)

言葉の習得度と現地での文化的年齢は比例するという話があるので、たぶん私はあの時おぎゃあとスリランカに生まれたのだと思う。
生まれたての子供に人は優しい。
そんな優しさに常時包まれていたからか、とにかく、その2週間のスリランカ滞在はそれはそれは楽しかった。

私、ここで生きていけるな。

という直感があった。
まさかここで生きていくことになる、とは思っていなかったが。

それからフィールドワーク講義の教授がスリランカだインドだと出かける度に、せっせとバイト代を注ぎ込んでついて行くようになった。

年に1回、多くて2回。なかなかの出費である。

何が私をそこまで突き動かしたか。

理由は3つ。

①友達ができた

一つは大学の交流会で知り合った日本語を学ぶ学生さんと仲良くなり、彼女の家にステイするようになったこと。小学生の時に夏休みにおばあちゃんの家に行くような楽しみになっていた。友達にはお姉さんがおり、3人姉妹の末っ子のような立場で家族の皆さんにも可愛がって頂いた。

②おしゃべり大好き

この国の人たちはおしゃべり好き。私も負けずにおしゃべり好き。
シンハラ語をほとんど話せないのだが、間違えることがちっとも怖くなかったし、間違えて笑われても恥ずかしくなかった。とにかくシンハラ語を使ってみたくて仕方ない。周りのスリランカの方たちが子供が言葉を覚えるのを待つように、辛抱強く付き合ってくれたことも幸運だった。

③ひとりでできるもん

最後の一つはスリランカの生活の中で、生活力をつけていったこと。
例えばスリランカで豆カレーの作り方を覚える。手で洗濯する。家の掃き掃除を手伝う。必要最低限の物で生きていく知恵とか要領の良さとか、濃密な人間関係だとかに、いちいちカルチャーショックを受けた。
どうしても自分でもやってみたい、できるようになりたい。幼児が大人の真似をするように、スリランカ生活のあれこれを身につけていった。
(美談のようだが、付き合ってくれた友人知人スリランカ人の皆様にはいい迷惑で、本当に感謝してもしきれない。)

そうやって私はスリランカの文化年齢をゆっくりと着実に育んでいったのである。

次回、なんでどうしてスリランカ②留学したよ。に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?