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なんでどうしてスリランカ②留学したよ。

シンハラ語を学びたいんです。

国際電話をかける。
聞きなれない呼び出し音。
1分いくらかかるのか。とにかく、早く要件を言って、切らないと。
焦る気持ちが、受話器を握りしめる手からにじむ。

「Hello?」

出た!

「ハ、ハロー!アイ、アイ ウドゥ ライク トゥー ゲット アン アプリケーション フォー フォーリン スチューデント!」
(外国人学生用の申請書が欲しいんです!)

「Which subject?」
(どの学科?)

「シンハリーズ!」
(シンハラ語です!)

「・・・」

「シンハラ!」
(シンハラ語~)

「There is no SHINHALA! It's SINHALA. ブチッ!ツーツーツー・・・」

忘れもしない。
留学のための申請書類をスリランカのとある国立大学から取り寄せるために
大学の学生課(Adminisration)に国際電話をかけた時のこと。
シンハラ語のSiをShiと発音してしまったために、電話を切られた。
しかも、この後、3回くらい同じやり取りをした(つまり、さらに3回ダメ出し食らって電話を切られた)。

シじゃなくて、スィ!(日本語では書けない)スィンハラ。
ラもRaじゃなくてLa!

前途多難な留学準備。そこからどうやってちゃんと留学までこじつけたか、とにかく夢中だった。
一応、指導教官の大学教授から現地の大学教授への紹介状はあったものの
個人留学の外国人学生自体珍しかったから、大学側も慣れていなかったんだと思う。(たぶん・・・)

ちなみに、この時電話でやたら私の発音を直してくれた学生課のおっちゃんは、留学中見かけるたびに声をかけてくれて、とても親切にしてくれた。

あまりにも怒涛の留学準備だったため、出発当日の朝まで、父に留学のことを言うのを忘れていた。
いつもみたいに2週間くらいで帰ってくると思っていた父。
「とりあえず、1年行ってきます。」
と言ったら、驚いていた。そりゃそうだ。ごめん。

さあ、出発!

とある国立大学

あたってくだけろ、お友だち作戦。

着いてから、下宿先が見つかるまでの1か月弱は、現地で知り合った交換留学生として同じ大学に留学してきていた、日本人と中国人の学生さんのお宅に泊めてもらった。

留学が嬉しすぎて、浮かれていた私。
手当たり次第に、だれかれ構わず声をかけまくった。
大して英語もシンハラ語もできなかったのにあのエネルギー。

日本語学科で日本語を学ぶ学生さんを見つけては声をかけた。
シンハラ語学科の教室の前で、専攻生を待ち伏せして、声をかけた。
ホステルの食堂で、図書館で、講義の間の自習に励む学生に声をかけた。
やたらめったら知り合いが増えたところで、日本語学科とシンハラ語学科の3つくらいのグループと仲良くなり、日常生活を共にするようになった。

下宿も決まった。小学校2年生、4年生、6年生の3姉妹がいるお宅で部屋を間借りすることになった。
この時点で、23歳だった私のスリランカ文化的年齢は大体10歳くらい。
小学6年生のお姉ちゃんは私に対してある程度距離を取っていたが、
小学2年生と4年生は学校から帰ってくると、ずっと私の部屋で入りびたり
一緒に宿題をしたり、本を読んだり(読んでもらったり)、遊んだりした。
楽しかった。

今みたいに、スマホもなくて、週に1回コロンボのネットカフェに通っていた。ノキアの携帯を使っていた。

なんにでも、どこへでも参上します。

とりあえず目的は、現地の言語シンハラ語を学びながら、文化人類学的調査を行うということだったので、調査のためにあちこち出かけなければならなかった。というより、調査にかこつけて、なんでも興味あることには首を突っ込んだ。
日本の指導教官は呆れていたと思う。ふふふ。(ここは笑うしかない)

子供の誕生、成人式、結婚式、葬式、法要。
おおよそ人に関わる儀式や儀礼や集まりにできる限り参加した。
そういうことをしていると、呼ぶと来るという話が広まるのか
大してお付き合いのない人からも、今度こういうのがあるよ、と声をかけてもらったりした。

授業が終わればバスを乗り継ぎ、どこにでも出かけて行った。
そして、なんでも手伝った。
ココナツ削りや、フルーツサラダのカット、鍋の番、家の掃除、壁のペンキ塗り、田植えに稲刈り、野菜の収穫、非力な私でもできることならなんでもやった。

2回ほど入院もした。
1回目は井戸水に当たり、2回目はデング熱で。
夜、点滴の針が痛くて眠れなくて泣いていたら、付き添ってくれた友達のおばさんが一晩中痛いところを撫でてくれた。
当時、看病をしてくれた友達やその家族の皆様には、感謝してもしきれない。

とりあえず、一回帰国。

そんな楽しい留学生活を2年ほどしたところで、そろそろ日本に戻り、論文を書けということになり、泣く泣く帰ることにした。

そして、帰る日取りも決まった頃、今の夫とお付き合いすることに。
そして、そのまま3年間遠距離恋愛となりましたとさ。

次回、なんでどうしてスリランカ③就職したよ。に続く。(・・・かもしれない)



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