Dengbêjの家 Amedで旧市街を歩く
朝ゆっくり起きるとFerayも妹Yaseminも仕事に行って誰もおらず、ダイニングに朝食を用意してくれていた。ありがたくおいしくいただく。
少し仕事をして、旧市街へ向かう。Amedには世界遺産の城塞があり、その城塞に囲まれたエリアが旧市街だ。
公共交通機関情報は皆無。3年前の記憶をたどり、縦横無尽に行き来しているミニバスで行けるはずと思い、近くにいた年輩の女性に城塞へ行くバスはどこから乗れるか尋ねる。とても親切に教えてくれた。おや、と思ったのは、クルド語で尋ねているのにトルコ語で返ってくること。年輩の女性にしては珍しい。孫とトルコ語で会話する、など、トルコ語が優位な生活を送っているのかも知れない。
彼女が教えてくれた場所でバスに乗り旧市街へ。一般人向けにDengbêjの歌を聴かせる施設があるので、そこへ向かう。4人のDengbêjが歌っていた。主な聴者は観光客だ。クルドの文化において不可欠Dengbêjの存在を広く知らしめるこの施設の意義はとても大きい。
途中、ダフも登場し、KeleşoやMidigo meなどの民謡を歌うシーンもあった。他の地域から観光にきたと思しき女の子3人組が嬉しそうに踊っていて、Dengbêjもニヤニ、、、ニコニコしていた。
その後ブラブラしながら城塞の南端にあるマルディン門へ向かう。マルディン門は階段で上に登っていくことができ、世界遺産の構成要素となっている庭園Hevselを広く見渡せる。初めてAmedへ来たときにも訪れて、そこから見る光景に感動したものだ。
仕事を終えたFerayとその友人も合流してくれて、チグリス川にかかるディジレ橋、通称Pira Dehçavî「10個の目を持つ橋」へ。1065年に造られたという古い橋だ。
こうして今日は一日観光した。夜はYaseminが作ってくれたファスリエをいただく。マイルドな塩加減が優しくありがたい。
Amedはずっと帰ってきたかった街だ。なのになかなか没入できずにいる。 MesûdもÖzcanもまだ帰ってこない。どんな風に過ごしているのか、彼らのことが気がかりで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?