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『わたしは分断を許さない』

2020年3月11日、東日本大震災からちょうど9年が経つ今日、堀潤監督の「わたしは分断を許さない」を観ることにした。
彼が国内外あらゆる場所に存在する「分断」の現場を追い続け、耳を傾け続けた「生の声」が間断なく詰まっていた。
福島、沖縄、ヨルダン、ガザ、香港、現場は多岐に渡っているが、人間の尊厳とは?という問いがその全ての根底に流れていた。

作品の中で、堀さんは「大きな主語」で語ることの危険性を訴えている。「日本人は」「香港人は」「被災者は」「難民は」・・・。
私たちは普段、無意識的にこういう表現をしがちだ。「大きな主語」は、物事を簡潔にまとめることに役に立つ。
例えば「被災者は今でも不自由な生活を強いられている」のように。
しかし、一括りにまとめてしまうことで、その対象は、顔のない「現象」になってしまう。個々の事実を覆ってしまうことになる。以前観た映画『バハールの涙』の中で、戦場ジャーナリストが語っていた言葉が蘇る。「人々は戦場で起こっている出来事を、それがまるで自然現象かのように眺めている」。しかし実際にそこにあるのは、「現象」などではない。堀さんがカメラを向けた先にいる人は、香港人の陳さんであり、シリア人のビサーンちゃんであり、福島県富岡町の深谷さんだ。

作品に登場する人の中で、特に印象深かった人がいる。福島第一原発の事故が起こり、茨城県から子供たちと共に沖縄に移住した久保田美奈穂さんだ。
彼女は今、沖縄で、辺野古への米軍基地移設に反対する運動に参加している。沖縄に移住したのは、被ばくの心配がない環境を求めてのことだった。
基地問題に関してはほとんど関心がなかったばかりか、「反対運動などをやっている人を見ると、”なんでも反対したい人たちなんだろう”と思っていた」という。
そんな彼女が、実際に辺野古移設への反対運動をする人と出会い、その人々の思いに触れることによって、ついには行動を共にするようになった。
人が何か行動を起こす時、そのきっかけとなるのは、具体的な「誰か」であることが多いではないだろうか。久保田さんの中でも、「反対運動をしている人」から、具体的な誰かへと主語が変化した。
久保田さんは「人のいうことがどうであれ、自分が正しいと思うことをやりたい」と力強く語っていた。彼女のその姿勢の変化が鮮やかにとらえられていたことが、とりわけ印象深かった。

上映後の舞台挨拶で、堀さんは「知らず知らずのうちに、自分が分断に加担したり、分断される立場に立たされたりすることがあるかも知れない」と言っていた。
堀さんによるプロダクションノートにこのような記述がある。

東電福島第一原発で、水素爆発が起きたとき、実際は高い線量の中、雪に降られながら屋外で給水車を待っていた住民の方々がたくさんいた。被災者の方々に、後日かけられた言葉を思い出すたび、僕は激しい罪悪感覚える。「堀さんやメディアの人たちも、知っていることがあるのだったら発信してほしかった。皆、何もしらずに外で並んでいましたよ」と。3月11日の夜、僕の携帯電話に東京電力の協力企業の経営者の家族から電話がかかってきた。「発表されているよりも原発の状況はよくありません。私たちも退避します。難しいかもしれませんが、そうした状況を伝えられる範囲で伝えてもらえたら」と。しかし、震災直後の混乱の中、はっきりとした裏も取れず、その日の夜は結局何も伝えられなかった。僕自身が、疑心暗鬼を招き、分断を深める役割を担ってしまった・・・。鋭い胸の痛みとともに、そう深い後悔を感じるのだ。

この時の経験が、堀さんのジャーナリストとしての姿勢に大きな影響をもたらしたのだろう。そして、それが「わたしは分断を許さない」という、非常に強いメッセージへと繋がる。

情報があふれる現代、一つ一つの情報は、スワイプするとあっと言う間に消えてしまう。誰がどこで自由を訴えようと、誰がどこで死のうと、意識の中に残らず消えてしまう。
危機感をもって紛争地に赴き、現場で見聞きした情報を伝えるために命をかける人が、「なぜそんな危険なところに」「国に迷惑をかけてまで」と批判される。
無関心が集積するとどうなるのか。今のシリアへ目を向けてみるとわかる。最悪の人道危機と呼ばれるこの状況は、私たちが形作る国際社会が招いたことだ。

この作品の中で光を当てられた「分断」の現場から、私は今後目を背けることはできないだろう。
「わたしは分断を許さない」、この「わたし」は私自身なのだ、と今感じている。

『わたしは分断を許さない』ポレポレ東中野で公開中

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