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暗い部分だけが強調される「クルドらしさ」@Amed

Berîvanという名前が長くてわかりづらくて内容が入ってこない、とリスナーからの声がありましたので、今日から便宜的に「羊子」と表記します。

(Berîvanとは羊の乳搾りをする役割を持つ女性のことで、人名にもよく用いられる)

羊子とツインドミで過ごし、いつも通り早朝から覚醒し、もぞもぞする。他方で、誰も彼もが夜行性で朝はゆっくりだ。

さぁ朝ごはんにしよう、となったのが11時頃、たいていそんな感じ。

羊子のお母さんのおばさんと、まもなく羊子の弟と結婚する嫁がきていて、みんなで朝食を囲む。

朝ごはん楽しい大好き



お腹がいっぱいになった頃、羊子がおばさんに「みんなで写真を撮ろう」と提案すると、おばさんのスイッチが急にONになって突然歌い出した。おっとおっとちょっと待って、と急いで撮影させてもらう。

突然歌い出すおばさん 一人静止画でポーズを決めたままのお母さん



羊子は故郷周辺の歌を記録している蒐集家だ。彼女の家族の女系メンバーはみんな歌を歌う。彼女のデータを見せてもらうと、母親の歌だけで50近くが録音されていた。その音源を元に羊子の知人の音楽家が採譜し、本にまとめる、という仕事を進めている。

羊子の周辺には、自分たちの文化を後世に遺そうと奮闘する人々がたくさんいる。「前の世代の人たちのレガシーを受け取って、引き継いで尽力している。それが私の役割だと思っている」、と曇りのない目で伝えてくれる。

またこんな話もあった。活動の内容柄、ジャーナリストや写真家に出会うことも多いが、クルドの「暗い部分」ばかりに焦点をあて、大した関係性を築かないうちに欲しい素材だけ集めようとする人も多いという。

例えば、「我々は抑圧されている」「我々は母語で教育を受けられない」などという嘆きは、私の元にも多く届く。このようなイメージが「クルドらしさ」だ、と言われると私も否定できない。それほど強いイメージだ。

しかし。もちろんそれはクルド性の一部であるけれども、そうでない部分、市井の人々の生活が当然あって、それを外部の人が知る機会はずっと少ない。ことさらにカメラに晒される面のみが人々の中にイメージとして定着していく。

当事者からすると我慢ならないことだと思う。かわいそうだ、危険だ、なんだ、という評価を押し付けられるなんて。

そんな話をして、羊子は少し執筆活動をするというので、Amedの旧市街へ繰り出してきた。

子供に絡まれ、調子にのってペラペラ話していると、やれTシャツ買ってくれ、あれ買ってくれ、これ買ってくれ、となってきてしまったので、さらっとかわして素敵なカフェでクルドコーヒー(ピスタチオコーヒー)をいただいた。

素敵カフェ
クルドコーヒー(ピスタチオコーヒー)



旧市街から羊子の家まで10kmほど、徒歩で2時間かけて帰宅。運動不足がちになるので歩ける時は歩く。

すっかり疲れてしまい早めに寝ようと横になっていると、羊子の従姉妹が部屋に入ってきてガシャガシャガシャものすごい勢いで話し始めて、次々と家族メンバーにビデオ通話でかけていき、一人一人会話させられるハメになった。たぶん能面みたいな顔してたと思う。

新しく教わったクルド語:
「Yes、はい」 = Erê または Belê
これをSemsûr(アドゥヤマン)では Hey libê というそうな。ちょっと高貴な感じ!使っていこうと思います。

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