クルドの葬式 2日目
クルドの葬式は3日間ある。昨日の埋葬に続いて、故人を悼む集まりに参加する。男性はモスクでイマームの祈りのもとに集まり、女性は故人の家か関係の近い親戚の家に集まることになっているようだ。
Serdarの妹と共に女性の集まりに加わる。故人の家族にお悔やみを伝え、新たな弔問者がやってきて祈りの言葉を唱え始めたらそれに合わせて他の人も祈る。寄る辺ない私は両掌を天に向けじっとしている。次々と女性がやってきて、そんな時間が続いてなんとも言えない気持ちになる。総勢100人くらいいたような、そんな体感。
しばらくして若い女性に呼ばれて台所にいくと、若年層の女性が集まって食事の支度をしていた。なるほど、さきほどの部屋では年長者が集まり、世話係の若年者はこちらに集まっていたのか。
先ほどの部屋のシリアスな雰囲気とは打って変わって、台所では溌剌とした若い女性たちが突然現れた日本人にいろいろと話しかけてくれる。例によって彼女たちのクルド語はいわゆる「アカデミックなクルド語」とはかなり異なる。でもいろんな言葉を探してきて、一生懸命にコミュニケーションをとろうとしてくれてとても嬉しかった。
とんでもない人数が集まっているのでとんでもない量の食事を用意していた。米を炊く、キョフテを作る、鶏肉料理を作る、ヨーグルトスープを作る、分担して作っていた。そのどれもに巨大な鍋が使われる。チャイを作る機械もどう見ても業務用だった。こうして、クルドの女性は100人単位の来客をもてなすことも家庭の中で学んでいく。
ちなみに今はラマダン中なので、食事は夕食のみ、チャイも夕食の後だけだったが、通常は、チャイ、昼食、チャイ、夕食、チャイ、甘い物、チャイ、チャイ、エンドレスチャイ。ラマダンモードでも相当大変そうだったのに、、、クルドの女性は大変だ。疲れ果てて、腰が痛いと座り込んでいた女性もいた。
人が亡くなったという状況で、明らかにその人のことを何も知らない異邦人である私がその場にいることを皆が本当はどう感じているか、ざわざわする気持ちもあったが、温かな歓迎を与え続けてくれた。
Bi xer hatî
Serê we sax be
Çawanî başî
Başim sax be tu çawanî başî
Başim inşallah
Ser çavan ser serê min
xwedê ji te razî be
これが一度に交わす挨拶。結局12時間ほどそこで過ごす中で徐々にこの流れをつかんだ。全て相手への親愛と敬意を表す言葉。日本語に逐語訳をすることはできるかも知れないが、難しい。
Xatir te
Ser çavan ser serê min
誰かが暇をつげ、見送る時はあちこちでser çavan ser çavanと聞こえる。
日本語と照らしながら単語を覚えていくのとは違う、生活の中で交わされる言葉を染み込ませていく行為。特異な状況なのでかなり疲れたが、得難い経験だった。
さてそろそろ帰ろうと言うところで、Serdarに呼ばれて、亡くなった女性の旦那さんに紹介される。心を痛めている中だろうに、とても温かく歓迎してくれて、ぎゅっと手を握ってくれた。その手は小刻みに震えていた。
Serdarが私のことをクルド音楽の歌い手なのだと紹介すると、「何が歌っておくれ」と言われる。故人と特に近しい人が集まる一室で泣いている人もいる悲しみの中で私が歌うことに躊躇っていると、Serdarが冒頭を歌い始めてくれた。Erdewan Zaxoyî ‘Esmerê heta kengî’ 私もあわせて歌い始める。彼の心に届くように。
決してうまく歌うことはできなかったけど、震える体で抱きしめてくれた。
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