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インスタには書けない素直な気持ち

全てを曝け出すのは悪か⁈
長い文章が久しぶりに書きたくなったので、noteを引っ張り出しました。

先日、コロナ禍になって2回目の舞台に立ちました。特に小屋入りしてからはぎゅっと結束が深まって千穐楽の景色は特に綺麗だった。楽しかった。

と、書くのは簡単ですが、この日までの3か月間、なんで私頑張れないんだろうって日が続いたことは事実です。全然曲が聴けなかったり身体が動かなかった日があったことも事実です。楽しかったダンスが辛くなった時期とリハの時期が重なってしまい、自分全然出来ないのになんで練習しないの?と苦しかった。普段仕事で伝えていることが自分にも返ってきて頑張らなきゃって思うのに動けないし、最後の最後まで合わせたい箇所が合わせられなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
小屋入りしてからもずっと「落ち着いて」って言わせてしまった自分が情けないなあと。落ち着いてって言葉、私は嫌いです。

群舞って、一緒に踊る人と動きや空気を合わせていく作業が素敵だし魅力だと思うけど、今回の私にはその魅力に拒絶反応が少なからずあって、向いてないなって思ってしまい、それが最後まで残ってしまった。

話しは飛ぶけど、8年くらい前に心を壊したことがあった。その時も、群舞が踊れなくなって、精神科に駆け込んだ。誰にも内緒で薬を飲んでふわふわした頭で色々失敗もしたけど、結局その大好きだった場所から離れることで薬から卒業した。その時にADHDの冊子を渡されて、はっきり明言はされなかったけど、私にはその可能性があると心に留めながら生きることにした。

そのときのおじいちゃん先生には、「ダンスが好きなら無理に合わせようとしないで踊る方法もあるじゃない」って言われたことがあって、その時は認めたくなかったけど、真意がだんだんわかってきた。

そして今回だ。やはり群舞は好き。でもきっとまた嫌いになる前に距離を取る必要はあるかと。

かなり赤裸々に書いたつもりだけど、全てを知ること、曝け出すことが必ずしもよくないことも分かっている。最近読んでいる人生の先輩の本にも書いてあった。書くべきか迷って結局書いてしまっている。自分に整理をつけるために。

でも、もう一つ、自分の想いを還元する方法を改めて思い知った。歌やドラマや映画に投影すること。かつて私も踊らせていただいた恩師が「生きてるだけで」という曲で作品を作っていて、その歌詞に自分を投影して泣けてきた。その曲に振付がつき、踊っている方々の姿を見て更に鳥肌が立った。ああ、言葉や表現方法は違っても、同じ想いを感じて、背中を押してくれるんだなあって。

そして、結局私は表現をしていきたいのだ。改めて感じた。群舞は好き。でも、きっと今の自分は少し距離を取ったほうがいい。いつか戻る日があるかもしれない。だから踊り続けよう。自分の気持ちを言葉や音楽に乗せて、投影することを辞めないで生きよう。

一気に書いたから何言っているか自分でもよくわからない笑

気持ちがぎゅっとなったら、なんで自分だけって思うこともあるし、その気持ちを吐き出すのは自分よりもっと辛い人もいるしって思って憚られる。そんな時には、呼吸をしてその時に気持ちを受け止めてくれる表現に身を任せて、自分の表現にも投影する。8年前の自分に戻らないように、そうやって少しずつ学んでいこう。

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