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『自分を大切にする』が出来るようになるまで ~夫婦学を学んだ4ヶ月~ ⑤

閲覧いただきありがとうございます。夫婦学認定講師の絵里香です。

前回の続きです。

ここまでお読みいただいた方には
『ちっとも“夫婦関係”に関わる話が出てこないじゃないか』
と思われるかもしれません。

ですが、夫婦関係での苛立ちやモヤモヤの元をたどると、自分の潜在意識にいらない思い込みを持っていることが原因というところにたどり着くんです。
思い込みは「普通、~でしょう」と思っている部分と言い換えるとわかりやすいかもしれません。
『事実(起こっている事)』を『解釈(自分がその事実に対してどう感じたのか)』するときに『普通、~でしょう』と自分が今まで集めてきた思い込みも混ざるんですね。

例えば、「帰りが遅い夫の夕食を準備して就寝した。朝起きたら夫のお皿が洗っていないままシンクに残っていた。」という例で説明すると、『事実』は「 」の中の部分になります。
『解釈』は「お皿を洗ってくれていないことが悲しい、腹が立つ」など、それぞれが『事実』に対して感じたことになります。
じゃあなんで悲しいとか腹が立つの?と考えたときに『普通は洗っておくものでしょ?』と感じる部分が『思い込み』です。

そこから、夫婦関係に悩んでいたり、自分に自信がなかったりすると『そんなこともしてくれないなんて、私のことが嫌いなんだ。』とか『そんなこともできないなんて、使えない夫だ』とか・・・悪い方へ悪い方へと妄想がどんどんふくらんでいきがちです。
でも『事実』である「お皿を洗っていない(洗えなかった)」に至った経過は夫にしかわかりません。夫はただ単に疲れ切ってしまってお皿を洗う余力がなかっただけ・・・なのかもしれません。

『事実』に『思い込み』を混ぜずに、そのまま受け止めて見ることが出来たら、ネガティブな妄想に巻き込まれることもなく「お皿、洗えなかったんだな。」で終われるんです。

じゃあ、どうして『普通、お皿を洗うべきでしょ?』と思うの?と聞くと、ほとんどが『自分の生まれ育った家庭がそうしていたから。それが当たり前だと思った。』とか『妻を愛しているなら、妻の希望を察して叶えるべきだ。』とかなんですね。そして、それはみんな当たり前に同じように思っているはずだと信じている。
だから、本当?と疑うこともせずにいます。
でも、本当は、当たり前でもなんでもない、自分の中にある『勝手なマイルール』なんですよね。

で、私の場合、『親や世間、夫に”すごい”と認められる私でいないといけない。』という思い込みがあったんです。
それを外すためにはどうしてそう思うようになったのかを振り返る必要があったんです。
というのが、ここまでの記事で書いたことでした。

さて、私のそんな思い込みがだいぶ外れて、すごく身軽になった私の次の課題は『そのままの私を受け入れること』でした。

まずは『自分の中の女性性を受け入れる』

これは以前の記事を参照してください。

もう1つは『自分に絶望すること』でした。

実は、夫婦学に申し込む前に、本気で夫との離婚を考え、シミュレーションしたことがありました。
今の家を出るとして、実家には住めないから実家の近くにアパートを借りて、親の協力を得て子供たちを育てる。看護師という職業柄、職にも金銭面にもきっと困らない。私の性格上、ちゃんと2人を育てられる。家事・育児も担ってきた。

『私の覚悟さえあれば、すぐに離婚って出来ちゃうんだな。』と感じ、すごく怖くなりました。

私の中で、夫の存在は『安心感』そのものなのと同時に、普段は自分がメインで子供を育てている(だから、あんまり口を出してほしくない)けど、何かあったときには一緒に責任を負って欲しい『我が家の最終責任者』でいて欲しいと思っていたんです。(めっちゃわがまま😂)

そして、私が手抜きをせず、必死にワーママとして頑張り続けてきた理由もここにありました。

『万が一、いつか離婚となったときに、私が親権を取れるようにするため。』

家事・育児に理解があり、ある程度出来る能力を持つ夫に頼れなかったのは、離婚になったときに夫に我が子を渡したくないから。
そのために私は、仕事も家事も育児にも手を抜かずに全力を尽くしたのです。
それだけ、私にとって娘たちを失うことが怖かったんです。

そんなわがままで身勝手で浅はかな考えを持っている私がいることに、やっと気付いたんです。

今まで、『認めてもらえる私でいないと、存在価値がない。』くらいに思っていたので、自分の弱さ・ずるさ・浅ましさ・情けなさなどなどの自分の中に見たくない自分に極力目をそらして、世間的に言われる『良い』部分だけを出して生きていたんです。
でもどこかで、「私だけを見て欲しい」とか「私をもっと大事にしてほしい」とか、そんな赤ちゃんみたいな欲求をもった自分がいることに気付いていました。

でも、そんな私を出して、受け入れてもらえなかったら・・・と思うと怖かったんです。

そんな私の弱くて情けない部分に、付き合っていた期間も含めて12年も一緒にいる夫が気付いていないはずがないんですよね。
そして、夫はそんな弱くて情けない部分を受け入れてくれないような人ではない、と夫を信頼している自分もいる。
その証拠に、私、何度も夫に離婚ってワードを出したことがあるけど、今まで1度も夫から離婚って言われたことがないんですよね。
むしろ、私が離婚って言うたびに嫌だ!ってちゃんと私を受け止めようとしてくれていました。

『私は女性という肉体を持って生まれてきている。
女性であるから、体調にもメンタル面にも波があって当然。
能力があって仕事も家事も育児も出来る私だけど、弱くて情けない部分もある。
そういう私を全てひっくるめて幸せにすると決めて結婚して一緒にいてくれているのが夫。』

この『事実』を受け入れられたとき、初めて『夫は戦う相手ではない』の意味がわかった瞬間でした。

次回に続きます。

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