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「ふみ」という言葉から頭に浮かんだ歌、そして素敵な詠み人小式部内侍

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立

小倉百人一首 第60番

これは百人一首に出てくる、めちゃくちゃ有名な歌です。高校生の時に古文で習ったような気がします。

同人誌『よつかど』の特集テーマ「ふみ」

福島市の同人誌『よつかど』に寄稿しています。今月のテーマは「ふみ」。
ふみ、と聞いてはじめに浮かんだのが冒頭の歌でした。

この歌が生まれたエピソードがかっこいいですよね。
古文の授業でも、先生がそのエピソード話してくれて聞いたような覚えが微かにある…かもしれない…かな…(ほぼないね笑)

かっこいいエピソード

この歌の詠み人は小式部内侍。和泉式部の娘です。
幼いときから歌に関して天才的で、あまりに歌の出来がいいので、母の代作だろうと言われていたそうです。

ある日、小式部内侍は歌合わせの会に招かれますが、その頃、母の和泉式部は丹後国にいて不在。同じ歌合わせの会に招かれていた藤原定頼が、意地悪に「歌会で詠む歌はどうするんです?お母様のいらっしゃる丹後の国へ使いは出されましたか?まだ、使いは帰って来ないのですか」と、代作疑惑のことを皮肉って言ったそうです。
そこで、小式部内侍が即興で歌ったのが冒頭の歌です。
現代語訳は、

「大江山へ行く野の道(生野の道)は遠いので、まだ行ったことはありませんわ(手紙なんて見たこともありませんわ)。天の橋立なんて」

「生野」と「行く」とを掛け、さらに「踏みもみず」と「文も見ず」を掛けて、かつ身の潔白を華麗に歌った小式部内侍。これを即興で詠むことで、これまでの歌が全て自分の歌であり、噂はデタラメであることを証明したと言うのですからかっこいいです。
この時の定頼はどんなだったか。

現代で言うと、上司からのパワハラ発言に対して、さらっと華麗な嫌味で切り返す女子社員、といったイメージかな。スッとしますねー!

天の橋立に行って本当に股覗きしたような私には、到底追いつけない存在です(笑)

今日も最後までお読みいただきありがとうございました😊

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