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Out of control

今年、 色彩自然学(色彩心理学)で
心の構造を学んでからというもの、

「わたし」というものの捉え方にガラリと変化が起こった。

それまで自分で私だと思っていた、
「自我」が認識できる範囲は、

実は「わたし全体」のほんの数%にすぎず、

「わたしの全体像」はもっともっと広範囲だと
いろんな現象から体感しつづけている。

で、最近、日課になりつつあるのが、瞑想だ。

これまでも、瞑想については
読んだり聞いたりしては興味をもち、
何度か坐ってみたことはあったのだけど、

イマイチよくわからなくって、「これでいいのかなぁ?」と首を傾げるばかりで続かなかった。

けれども、日々いろんな気づきを得られる中で、
「え、ちょっとなんかコレ、坐って味わってみたい」って思ったある日をきっかけに、「わたし」にとって心地よい瞑想を体感し、すっかりハマってしまったのだ。

完全に自己流なんだけど、

瞑想では、
スーハーと吸って吐く呼吸や
ドキドキする鼓動などを意識するところから、

外の世界から
聞こえてくる鳥の声や車の音
頬をなでる風や温度なんかを肌で感じながら

「わたし」の感覚器官として、私にいろんなことを教えてくれるカラダに
感謝の気持ちでいっぱいになる時間として、とても尊いひとときとなっている。

(瞑想は「わたし」のカラダを味わってから、次にこころの味わいに進むのだけど、そこは今回は省略。)

ちんぷんかんぷんだった半年前の私に教えてあげたい。瞑想の良さがわかるようになる日が来るよって。

で、今日書こうと思ったのは、
コントロールが届かない部分の「わたし」を美しく磨いてあげたいな〜と
常々ぼんやり思ってるよな、私。って気づいたから、書きとめておこうとnoteを開いたのです。
(全体性の「わたし」と、自我の「私」の表記を分けて書いています。)

睡眠が無意識にとって大事だってわかったから
自我の私は、「わたし」が眠りたがっていたら寝させてあげるし、

音楽の海に身を投げたら、こころもカラダもめちゃくちゃよろこんでたから
自我の私は、「わたし」に美しいものにもっと触れさせてあげる機会を作ろうって思った。

瞑想が心地いいって、「わたし」をもっと感じてほしがってるから
自我の私は、坐る時間を作ってるんだと思う。

こんなふうに、自我の私は「わたし号」の運転席で
「わたし号」を良き道へと連れてってあげるようにできる限りのサポートをしている感覚でいるな〜と気づいたのです。

「わたし号」の奥底には
人類全体の、さらには宇宙全体の「集合的無意識」からの流れがきているから
自我の私は「わたし号」が発するシグナルをキャッチして舵を切るオペレーターのようなもの。私にできることはせいぜい小手先の操作くらいなもんだ、と実感しているかんじです。

それまで、自身を「私」と一くくりにとらえ、
自分のことは自分で全てコントロールできると思い込んできた「私」からは、ずいぶんと捉え方が変わったものです。

意識が及ばない領域にこそ
美しさ優しさが宿った人
そんな人が
世界と調和して、自分も周りの人も幸せにできる人なのではないかな
そんな人になれたらいいなと密かに憧れています。

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