日本版「彼女はキレイだった」第7話が良すぎた件

気持ち悪いタイトル!
まあこうでもしないとこの興奮を伝えられなかった・・・。予め言い訳しておくと、原作未視聴かつ演技の専門的知識なんてみじんもございません。ただ、こんな夜中に会社のパソコンを開いてまで、この興奮を不特定多数の誰かに伝えたかった。爆発しそうな愛しさは、きっとこの作品の背中を押すことになる。そんな自意識を抱えて、私はカタカタ綴るのだ。


第7話のラスト5分

「ラスト5分を見逃すな」なんてありきたりな宣伝文句、それを越した結末の映画に私はまだ出会っていないんだけど、この回はこれに限る。
~あらすじは省略。未視聴の方はぜひこちらから~
https://youtu.be/AjgeoPjVozc

「おい。どういうつもりだ、佐藤愛」
「え?」
「本当なんにもわかってないな。」

佐藤愛の正体がわかった宗介。時間は夜で、役者の顔がよくわかりづらいんだけど、よく見れば宗介の顔には涙の跡がある。

「この16年間、君にどれだけ会いたかったか。」

この台詞、声、表情にやられた。何も気づけなかった自分への嫌悪、悔しさ、騙された憎しみ、辛さ、悲しみ。それでも、うれしい。好き。大好き。

「どこにいるの?」
「会いたい。」

宗介は、今までのドラマを通して、完璧な仕事人間を描き続けてきた。愛のみならず、部下にも厳しい態度。そんな宗介が、弱々しく「会いたい。」とだだをこねるのだ。(余談だけど、この「どこにいるの?」の声が本当に胸が痛い。)

そこから、愛は告白してくれた樋口を断って宗介のもとへ駆け抜けるんだけど、主題歌の「夏のハイドレンジア」とともに今までのふたりが描かれる。大人になって再会した宗介は、それこそ第一印象は最悪なんだけど、困っている人がいたらそっと手を差し伸べる優しさを持ち、「初恋の人」に見合うため努力を重ねてきた人だとわかっていく。それに続けて、笑顔、そして、自分に差し出してくれた傘。宗介も、再会したあとの愛の印象は最悪だったけど、「自分の可能性を信じたい」と一生懸命奔走する姿に、だんだんと惹かれていく。
バックで流れる「夏のハイドレンジア」の歌詞は、「まるで時計の針。すれ違ってばかり」
ふたりで過ごす時間は多くなって、「許しあえる。二人なら何があっても」と歌は流れる。
ここでずるいのが、ふたりの幼少期のシーンが挟まれること。小さい頃も、大人になっても、雨が苦手な宗介のために、愛は宗介を守るのだ。そこに流れる歌詞が、「出会えた日から僕の物語は始まった。」
そして回想シーンが終わり、なおもお互いに出会うため走り続ける宗介と愛。「君と共に続きを綴りたいんだ。いいかい?」と歌。

回想シーンが挟まったことにより、この「夏のハイドレンジア」に合わせるシーン割は計算された演出だとわかる。やられたー。まんまとやられたよ。まさか日本のゴールデンタイムの連ドラで、こんなにも心乱されるなんて、思いもよらなかった。


このドラマはルッキズムを助長するのか?

もちろん健人くん主演と決まった段階で、どんな内容であれ一応は見ることは、私の中で決まっていた。しかし懸念点のタイトル「キレイだった」が、どうしても心に引っかかる。「恋をしてキレイになった」「キレイになって好きになった」というストーリーは、一昔前の王道で、多様性を謳われる昨今では、そういった風潮は受け入れられにくい。ジャニーズが好きな時点で、ルッキズム反対運動をしたとて説得性がないのは重々承知しているけど。それでも非難を受けるのは必ず外に出る俳優のほうで、私はただ健人くんが傷つくのを恐れていた。
しかし、そんな問題も杞憂に終わる。だって、彼らは見た目なんて、鼻からどうでもよかったんだもの。

<宗介>
◎昔・・・いじめられっ子だった宗介は、意地悪な男子からいつも愛は守ってくれた。自信がない宗介に、「どうして自分の可能性を信じないの?」と励ましてくれた。母を殺した苦手な雨から、愛は守ってくれた。そんな初恋の愛と、離れ離れになる。そこで空白の16年ができるわけだが、宗介は前述通り、ずっと愛に会いたかったんだ。ただ「会いたい」と願うだけじゃなくて、かっこいい愛に相応しい男になれるよう、努力を重ねる。結果として、彼はキレイになった。
◎今・・・ニューヨークから帰国した宗介は、(佐藤愛を初恋の愛ちゃんと気づいていないけど)愛の印象は最悪だった。いつも自信がなく、おどおどしていて、足手まとい。でも一緒に働くにつれ、愛の前向きさ、一生懸命さ、優しさに心惹かれていく。宗介は、初恋の愛とは別に、「今の愛」のことも好きになったのだ。

<愛>
◎昔・・・成績優秀で、誰にでも優しくて、クラスの中心的存在だった。子猫を助ける優しい宗介に、嫌いなグリーンピースを残す少し残念な宗介に、いつしか惹かれてたのかもしれない。
◎今・・・意地悪で、態度もでかくなった宗介に、「変わってしまった」と落ち込む愛。でも、それは表面だけだった。部下を思って廃刊の危機を伝えられない不器用な宗介。誰よりも仕事に一生懸命な宗介。いつまでも昔の愛の言葉を大切にしている宗介。天然で口下手で笑顔が可愛い宗介。そして相変わらずグリーンピースが苦手な残念な宗介。宗介は、昔と何一つ変わってなんかいなかった。それに気づいて、愛は「今の宗介」のことも好きになったのだ。そして愛は、モストのために、ひいては宗介のために、自信のない自分から卒業しようと決心した。そして彼女はキレイになったのだ。

ここで注目すべき点は、二人とも、キレイになる前の二人を好きなったこと。キレイになってから物語が動いたわけではない。昔の太っちょの宗介のことを、愛は心から好きだったし、ボサボサ髪の愛のことを、宗介は愛おしそうに見つめていた。ここに、物語が批判されない意味があるのだと思う。


最後に

何度も言うけど、私は韓国の原作を観ていない。なので解釈違いがあれば恥ずかしい限りなんだけど、「キレイだった」の「キレイ」って、過去形じゃないのかもしれない。「今も昔も変わらずキレイだった」と、愛と宗介はお互いに気付くのではないかな。成長していくにつれ、会えなかった16年で変わってしまった部分はきっとある。宗介の父は再婚したし、愛の家は貧乏になってしまった。それでも、宗介は母国語ではないニューヨークで雑誌の編集部の確固たる地位を確立したし、愛は何度就活に失敗しても、めげずに前を向いて生きていた。見た目なんか二の次で、彼らのキレイな心は、いつまでも変わらないままだ。・・・なんて、60分も満たない1話のドラマについて、延々と語ってしまった。お願いなので、韓国版見習ってあと20回くらい放送してください。それが無理なら、最終回は10時間スペシャルとかで。素敵な夏を、ありがとう。

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