人は死んだらどうなるか?

この10年ほどで身内がごっそりと減った。

年寄りはしょうがないかもしれないが、そうでもない人でもいつ死ぬかわからない。
ここには書けないほど減っていった。すごい勢いだ。


そこで気になるのが死んだらどうなるのか?ということだが
帰ってきて教えてくれる人はいない。まず肉体がないわけだから
帰れないし。

それでも不思議なことというのはある。

こんなことがあった。

家族のうちで一人、働き盛りなのに
病気でもないのにうっかり死んでしまったのがいる。
それもすぐには死ねないで、呼吸は人工呼吸器。頭は酸素がいかなかった関係で
少々認知症気味。
それでもたまに我に帰るのでまだらにぼけている感じ。
一番困るのが、自分の置かれている立場がわかってないので
管という管を自力で抜こうとする。人工呼吸器までも。
だから拘束せざるを得ないのだが
その人の母親は「こんな、こんな縛り付けてかわいそう」と言った。
はいはい、そうですか。それならずっと見ていてね、とお願いして
どうしても病室を離れないといけなかったもんだから気にはなりながら
おまかせした。

案の定人工呼吸器も抜いたらしい、、、、やり直しだよ。おっかさん。
あれは大変なんだよ。
そんな気の遠くなるようなやりとりや
これからどうなるんだろうという絶望の中
からだがどんどん動かなくなっていき、とうとう人生終了の時が来てしまった。
そうしてさまざまなことを終えて、骨になったその人を家に連れて帰ったわけで
一ヶ月ぶりに家の布団で寝ることができた。自分で管を抜いたりするので完全看護の病院であっても家族の付き添いが必要となるのだ。

お骨と遺影とお線香を立てるところとかいろいろ祭壇に用意して数日。
ある日、その部屋の換気扇からすずめが入ってきた。すごい勢いで部屋に侵入し
少し壁にぶつかったりしながら
お骨の前にとまった。座るように。
私の記憶ではすずめは人間の前でじっとしないのではないかと思う。
手を差し伸べてもじっとしていて、、、、手にも乗って、、、静かに手のひらに乗ったまま。手乗り文鳥じゃないのに!


それでもその時は何も思わず、「早く出してやんなきゃ」と思い手のひらに乗せて
急いで外に連れて出て空へ飛ばした。
そのあと他の家族が「あれはひょっとしてTじゃないのか?」と声をあげた。
それで「ああ、そうだったかもしれない。それならもっとゆっくりさせてやればよかった」と思ったけどもう飛び立ったあと。

まあそれがTであるかどうかはわからないけど
のこされたものにとってはそういうかたちでもいいからもう一度接触したいと思っているわけで
きっとあれはTだった。と思うようにしている。
ようするにこちらの気持ち次第である。

その後夢に何度か出てきて、夢の中では「実は自分は死んでなくて
重大な役目のためにトラックで遠くまで走っている」と言ったり
自分の着るものを探していたりする。背広とかね。
すまんねえ。ほとんど捨てたんだよ。

ただ、靴を一足はとってある。
なぜならは洋服や他の遺品と違って
実物大でかたちとなっているからである。立体的だもの。
たまには思い出してやりたい、そんな気持ちで一足だけね。

他の親族などもポロポロと去っていったが
特に気配を感じたことはない。
どうしてるのかなあ?

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