「歴史編2」弥生時代 勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡

明日からつかえる!EriEriのバスガイドマル秘ネタ!

只今、歴史編をシリーズでお送りしております♬

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歴史の話はこのまま使うというより、ざっくり頭にいれておくと観光地の案内をするときに話をつなげられるようになったりお客様への説明がわかりやすくなるので基礎といった感じで記録にのこしていきます!

縄文時代から大阪の陣まで・・・今回は「弥生時代」です!

さて、問題です♪ジャジャン♪

「なぜ弥生時代という名前がついたでしょうか?」

縄文時代は土器の縄文様(もよう)から名前がつきました。

弥生時代も実はこの「土器」が関係しているのですよ〜。

弥生時代には土器も薄くて丈夫、実用的でシンプルに!
この縄文時代とはちがう土器がはじめて発見されたのが東京文京区「弥生町」だから、弥生土器と名前がついて、弥生時代に!

弥生時代といえは中国から「稲作」が伝わって、生活がガラッとかわった時代。

それまでの食料だったお肉と違って保存がきくので計画的な暮らしができます。その出来たお米を保存するためにつくったのが「高床式倉庫」で、この時代にもネズミ対策として「ネズミ返し」がついていました。

稲作は少人数ではできないので、縄文時代よりも大勢の仲間と集落をつくり生活をすることになり、そこで集団をまとめるリーダーが集落ごとに出てきます。

そして皆、平等だった時代から少しずつ役割分担ができてくる。稲作がはじまったことで、指導者(リーダー)と労働者という立場の差(=身分の差)ができてしまった時代。

やがて、強いリーダーによって集落が吸収されて「国」ができる。100以上の国ができたらしく、その国のリーダーが「王」になる。

その王の中には、当時の大国…中国に挨拶に行った人がいるようで(大国の後ろ盾があるとはくがつくから)その中の一人が「奴国(なこく)の王」

挨拶にいってもらったのがあの「金印」

そこには「漢委奴国売」→お前を漢の国の手下である倭国(日本)の中の奴国王と証明する、と。

これが江戸時代に福岡の志賀島でお百姓さんにより発見される。(この辺り福岡で話をつなげれますよね♡)

100 余りある国の中ででっかいのが「邪馬台国」で、女の王様の名前が「卑弥呼」

邪馬台国は未だに場所がはっきりとわかっていない歴史ロマン♡の一つですよね。

それでは「弥生時代」はこのくらいに*^^*

歴史編シリーズ!次は古墳時代です!

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